下野電気鉄道デハニ101形電車 導入後の変遷

下野電気鉄道デハニ101形電車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/21 14:19 UTC 版)

導入後の変遷

本形式は下野電気鉄道の東武への吸収合併後も、下野電気鉄道当時の原番号のまま運用されていたが、1951年(昭和26年)に施行された大改番によってモハニ1670形1670 - 1672と形式称号および記号番号が変更された。その後も引き続き鬼怒川線を運用線区とし、主に大正15年系クハ420形と編成して2両編成で運用された。

しかし、最急勾配25の区間が点在する勾配線区である鬼怒川線において、低出力の主電動機を搭載する本形式でMT編成を組成し運用するには性能不足が明らかであり、運転速度向上の障害ともなりつつあったことから、1960年(昭和35年)7月にモハニ1671・1672の2両が館林地区に転属した。

転属に際しては荷物室・荷物積卸用扉を撤去して客室化したほか、モハニ1671は旧荷物室側の運転室を、モハニ1672は旧荷物室と反対側の運転室をそれぞれ完全撤去し、モハニ1672については乗務員扉の新設が施工され、運転室を撤去した側の妻面へ貫通路・貫通幌を新設して2両固定編成化された。また、客用扉幅が従来の760mmから1,000mmへ拡幅され、同時に客用扉下部のステップが撤去された。

同改造に際して客用扉の位置には手を加えなかったことから、改造後の窓配置は2両で異なり、モハニ1671がd1D10D3、モハニ1672がd1D10D2となった。なお、同2両は荷物室が撤去されたにもかかわらず、改造後も車両番号(車番)・記号ともにそのままとされていたが、1961年(昭和36年)7月にモハ1600形1601・1602と改称・改番され、旅客車両形式に改められている。2両固定編成化されたモハ1601・1602は、以降小泉線太田 - 西小泉間の区間運用専用編成として運用された。

残るモハニ1670は引き続き鬼怒川線で運用された後、1965年(昭和40年)6月にこちらは荷物電車へ転用され、モニ1670形1671と改称・改番された。転用当初は外観上ほぼ原形のまま荷電として運用されたが、翌1966年(昭和41年)に車体側面中央に荷物積卸用大型扉を増設し、同時に元来の荷物室側の運転室にも乗務員扉を新設した。ただし、落成当初からの荷物積卸用扉はそのまま存置され、元の客用扉に相当する扉も改造されていないため、モハ1601・1602と比較すると落成当初の原形を保った外観となっていた。

その後モハ1600形・モニ1670形とも前面窓のHゴム固定化・パンタグラフの東洋電機製造PT-41系への換装・制動装置への中継弁付加、ARE自動空気ブレーキ化・保安装置(東武形ATS)の取り付けが実施された。さらにモハ1600形に対しては前照灯のシールドビーム2灯化も施工された。

しかし、後年の新型車両の増備に伴って従来車の運用に余裕が生じたことから、一支線区の専用編成という位置付けのモハ1600形は運用上不便な存在となりつつあったこと、モニ1670形については荷物輸送量の減少により荷電の所要数が削減されたことによって、モハ1600形・モニ1670形3両とも1972年(昭和47年)12月25日付で廃車となった。

東武の鉄道線における旅客用電車では、大正13年系デハ1形を客車化改造したコハフ10形11 - 13が矢板線廃線に伴って1959年(昭和34年)8月に廃車となって以来、事故被災等によるものを除くと[注釈 3]約13年ぶりの除籍処分の発生であった。これは東武において車体の老朽化等で旧型車を代替した場合、相対的に寿命の長い主要機器については再利用され、車体更新名義によって車籍継承が行われていたことによるものである[注釈 4]。本形式は主電動機出力を始めとした主要機器の仕様が異なり、他形式との互換性が低かったことからそのような措置が取られることはなかった。

現車は廃車後杉戸工場構内に留置された後、翌1973年(昭和48年)3月から同年6月にかけて解体処分された。


注釈

  1. ^ この段階において藤原線は1,067mm軌間の架線電圧600V電化路線となったが、後述のように翌年には架線電圧1,500V昇圧を控えていたことから改軌に伴う車両の新製は行わず、東武日光軌道線より車両を借入し昇圧までの繋ぎとした。
  2. ^ 昭和2年 - 4年系の電動車各形式においては、固定軸間距離2,450mmのKS31L台車が装着されていた。
  3. ^ 1970年(昭和45年)10月に花崎駅付近の踏切において発生した衝突事故(通称「花崎事故」)で被災した7800系モハ7808-クハ708が同年12月に廃車となっている。
  4. ^ 戦後の東武の鉄道線における旅客用電車で除籍処分となったものは、前掲の計5両に加えて、国鉄63系割り当て車(東武6300系)導入に伴う地方私鉄への車両供出目的で1947年(昭和22年)から翌1948年(昭和23年)にかけて除籍された13両と、1951年(昭和26年)8月に発生した浅草工場火災で被災焼失し同年11月に廃車となった6両がある。これらを総計しても本形式が廃車となった1972年(昭和47年)12月以前に除籍処分となった電車(電車改造の客車を含む)はわずか24両に留まる。

出典

  1. ^ 『鉄道ピクトリアル』1972年9月号 p.122


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