下総町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 13:20 UTC 版)
しもふさまち 下総町 | |||||
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成田ゆめ牧場・まきば線 | |||||
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廃止日 | 2006年(平成18年)3月27日[1] | ||||
廃止理由 |
編入合併[1] 下総町、大栄町 → 成田市[1] | ||||
現在の自治体 | 成田市 | ||||
廃止時点のデータ | |||||
国 | 日本 | ||||
地方 | 関東地方 | ||||
都道府県 | 千葉県 | ||||
郡 | 香取郡 | ||||
市町村コード | 12341-2 | ||||
面積 | 32.00 km2 | ||||
総人口 |
7,868人 (2006年2月1日) | ||||
隣接自治体 |
成田市、香取郡大栄町、神崎町 茨城県稲敷郡河内町 | ||||
町の木 | モクセイ | ||||
町の花 | コスモス | ||||
町の鳥 | ウグイス | ||||
下総町役場 | |||||
所在地 |
〒289-0192 千葉県香取郡下総町猿山1080番地 | ||||
外部リンク | 下総町 | ||||
座標 | 北緯35度52分32秒 東経140度20分57秒 / 北緯35.87556度 東経140.34903度座標: 北緯35度52分32秒 東経140度20分57秒 / 北緯35.87556度 東経140.34903度 | ||||
ウィキプロジェクト |
2006年(平成18年)3月27日に成田市へ同郡大栄町と共に編入合併された[1]。
概要
農業中心の町で、北に流れる利根川沿いに水田地帯が開け、水郷早場米の産地としても有名(早場米の出荷は8月中旬から。)。台地では畑作が行われ様々な作物が栽培されている、中でも無漂白なのに真っ白なレンコンは町の特産品で、国の減反政策がきっかけで栽培が始まった。現在ではハウス栽培、二年掘り、筋掘りなど多彩な栽培方法を組み合わせも、一年中市場へ出荷されており、その販売戦略などが高く評価され、平成12年、日本農業賞大賞(集団組織の部)を受賞している。また、サツマイモの生産も多い。利根川河川敷などでは酪農も営まれている。工芸品の下総鬼瓦も重要な産業の一つだったが今では県下唯一の鬼瓦工場がこの町に残るのみとなり、千葉県の伝統的工芸品に指定されている。
下総町は歴史も古く、鎌倉時代は大須賀氏の所領として栄え、江戸時代には井上政重がこの地を含めて1万石を領する大名となり(高岡藩)、3代藩主政蔽(まさあきら)の時に高岡に陣屋が置かれた(高岡陣屋)。
地理
隣接していた自治体
北
東
東南
- 香取郡大栄町
西〜南
- ^ a b c d e “新4市・町 誕生祝う 香取市 県内初の自治区制導入 山武市 旧4町村、テープカット 新・成田市 NARITAナンバーを交付 横芝光町 2町合併、喜びかみしめ”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 16. (2006年3月28日)
- ^ “歴史資料館オープン 下総町制40周年記念式典も”. 毎日新聞 (毎日新聞社): p. 25. (1995年2月11日)
- ^ “古代の文化財など紹介 下総町立歴史民俗資料館 きょうから公開”. 読売新聞 (読売新聞社): p. 29. (1995年2月10日)
- ^ a b “国道356号バイパス開通 下総区間の工事が完成 盛大に開通式 渋滞の緩和に期待”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 14. (1996年3月23日)
- ^ “下総町で閉町式典 伝統の町名に別れ 51年の歴史に幕 新「成田市」へ発展願う”. 千葉日報 (千葉日報社): p. 16. (2006年3月24日)
- ^ 下総町史編さん委員会編 『下総町史 通史 近現代編』、下総町、1994年より
- ^ 角川日本地名大辞典編纂委員会『角川日本地名大辞典 12 千葉県』、角川書店、1984年 ISBN 4040011201 より
- ^ 『下総町史 通史 近現代編』下総町史編さん委員会編集、501頁
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