下田光平
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/12 02:51 UTC 版)
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2012年のサイン | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | シモ[1][2] | |||||
カタカナ | シモダ コウヘイ | |||||
ラテン文字 | SHIMODA Kohei | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1989年4月8日(34歳) | |||||
出身地 | 秋田県秋田市仁井田 | |||||
身長 | 180cm | |||||
体重 | 73kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF (DH) / DF | |||||
利き足 | 右足[1] | |||||
ユース | ||||||
1998-2001 2002-2004 2005-2007 |
仁井田レッドスターズ FCあきた 秋田商業高校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2008-2012 | FC東京 | 3 | (0) | |||
2009-2010 | →水戸ホーリーホック (loan) | 31 | (0) | |||
2012 | →FC町田ゼルビア (loan) | 16 | (1) | |||
2013-2014 | V・ファーレン長崎 | 28 | (1) | |||
2015-2017 | ブラウブリッツ秋田 | 56 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
2005-2006 | 日本U-16/17 | |||||
2007-2009 | 日本U-18/19/20 | |||||
1. 国内リーグ戦に限る。2018年2月12日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
来歴
小学校3年生時に[3] 地元・秋田のスポーツ少年団でサッカーを始め、中学生時に所属したFCあきたでボランチに転向[3]。3年生時に高円宮杯全国大会に出場。秋田商高在学時には、恵まれた体格に身体能力と当たりの強さを備え、ダイナミックなプレーぶりから[3][4]「みちのくの稲本」と呼ばれていた[5]。
2008年、名古屋などとの争奪を経て[4]FC東京へ入団[6]。入団会見では「目標とする選手は今野泰幸」とコメント[7]。同年の公式戦出場機会は掴めなかったが、サテライトや練習試合ではチームのレギュラー選手相手に、守備から攻撃の第一歩となるプレーが通用する所を見せた。[要出典]また、U-19日本代表メンバーに定着し同年開催のAFC U-19選手権に出場[8]。U-19サウジアラビア戦ではMF香川真司とのドイスボランチを構成した[9]。
2009年1月には各クラブで出番に恵まれない選手で構成されたU-20日本代表に選出され、カタール国際ユーストーナメントに出場。同年5月末、下田を「守備の強い、90分走ることができるタフな選手」と評価していた木山隆之[10] が指揮を執るJ2・水戸ホーリーホックへの期限付き移籍が発表されると[11][12]、そのわずか3日後の同月30日に行なわれたJ2第18節・対仙台戦で早速先発で起用され公式戦デビューを果たす。守備のユーティリティープレイヤーとして重宝がられていた[要出典]が、同年9月のJ2第38節横浜FC戦で左膝前十字靱帯を損傷。全治半年以上の診断を受け戦線を離脱[13]。
2010年も移籍期間を延長し[14][15]、同年5月のJ2第13節熊本戦で復帰。ボールホルダーへの厳しいチェックを見せた[16]。当時の水戸はドイスボランチの両方に攻撃的な選手[注 1]を起用しており、下田に多くの出場機会が与えられることはなかったが、シーズン終盤のJ2第34節札幌戦からはレギュラーに固定。チームメートのDF大和田真史から「人に強いし、ボールを取るのもうまい」と評された[2] 守備力を発揮し、木山からも「いい位置取りで(相手の)攻撃の芽を摘んで、攻撃の起点にもなっていた」[18] などと賛辞され、守備で貢献するボランチとして存在感を示した。
2011年は移籍期間を満了し[19] FC東京へ復帰。同年はMF高橋秀人がアンカーのポジションで定着したため出場機会は限られたが、高橋が出場停止となったJ2第34節湘南戦でFC東京での初先発を果たし[20]、猛烈なプレスで相手のパスの出所を塞ぎ[21]、広範囲をカバーする守備意識の高さで穴を埋めた[22]。
2012年3月にFC町田ゼルビアへ期限付き移籍[23][24]。登録後すぐに先発出場を続けるようになり、J2第9節甲府戦でプロ入り後初得点を挙げた[25]。しかし持ち前のボール奪取で激しいプレーを続けたことによる代償か[26]、町田でも負傷による長期離脱を余儀なくされた[27]。シーズン終盤に復帰するも[28]、移籍期間満了により同年限りで退団[29]。
2013年からV・ファーレン長崎へ完全移籍[30][31]。長崎では対人の強さを買われ[要出典]、ストッパーとして3バックの一角に配された。同年4月のJ2第9節熊本戦ではプレーとは無関係に相手選手に対し頭突きをしたことが「乱暴な行為」に相当すると判定され、1試合の出場停止処分を科された[32]。2014年にかけて雑なプレーを減らし成長を見せたが[33] 同年限りで長崎との契約を満了[34]。
2017年12月、現役引退が発表された[36]。
2018年より東京フットボールクラブに入社し、古巣FC東京のスクールコーチに就任。
2020年より株式会社CrushOnに入社。
所属クラブ
- 1998年 - 2001年 仁井田レッドスターズ[注 2] (秋田市立仁井田小学校)
- 2002年 - 2004年 FCあきた
- 2005年 - 2007年 秋田市立秋田商業高等学校
- 2008年 - 2012年 FC東京
- 2013年 - 2014年 V・ファーレン長崎
- 2015年 - 2017年 ブラウブリッツ秋田
- ^ a b “PLAYER'S DATABASE”. 2008年9月22日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月26日閲覧。 WEBサッカーマガジン (2008年2月21日)
- ^ a b “[水戸]大和田選手が下田選手にアドバイスも「俺もまだ感覚をつかんでない」”. 2010年11月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年12月4日閲覧。 エル・ゴラッソweb版 BLOGOLA、2010.11.18
- ^ a b c 注目選手紹介 下田光平 / MF 秋田商 (秋田) 大ケガから復活した強気なU18日本代表ボランチ 日刊スポーツ
- ^ a b “【FC東京ニュース】東京が秋田商・下田獲得へ”. 2007年11月15日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月26日閲覧。 東京中日スポーツ (2007年11月14日)
- ^ “「インターハイ 鳥栖にモえる!」(9) 秋田商・下田光平”. 2007年10月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月26日閲覧。 スポーツ報知 (2007年7月29日)
- ^ “下田光平選手(秋田市立秋田商業高等学校)来季新加入内定のお知らせ”. 2007年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月26日閲覧。 FC東京 (2007年11月14日)
- ^ “秋田商MF下田の加入内定『目標は今野さん』”. 2007年11月16日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月26日閲覧。 東京中日スポーツ、2007.11.15
- ^ U-19日本代表 AFC U-19選手権サウジアラビア2008 (10/23-11/16)メンバー 日本サッカー協会 (2008年10月20日)
- ^ U-19選手権 日本vs.サウジアラビア-2 ゲキサカ (2008年11月4日)
- ^ 【J2:第18節 水戸 vs 仙台】木山隆之監督(水戸)記者会見コメント J's GOAL、2009.05.30
- ^ “下田光平選手 水戸ホーリーホックへ期限付き移籍決定のお知らせ”. 2009年5月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月26日閲覧。 FC東京 (2009年5月27日)
- ^ “下田光平選手FC東京より期限付き移籍のお知らせ”. 2010年5月23日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月26日閲覧。 水戸ホーリーホック (2009年5月27日)
- ^ “下田光平選手 検査結果について”. 2010年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月19日閲覧。 水戸ホーリーホック (2009年9月25日)
- ^ 下田光平選手 期限付き移籍延長のお知らせ FC東京 (2010年1月8日)
- ^ “下田光平選手 期限付き移籍期間延長のお知らせ”. 2010年2月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年1月19日閲覧。 水戸ホーリーホック (2010年1月8日)
- ^ 【J2:第13節 水戸 vs 熊本】木山隆之監督(水戸)記者会見コメント J's GOAL、2010.5.15
- ^ 【J2:第33節 横浜FC vs 水戸】木山隆之監督(水戸)記者会見コメント J's GOAL、2010.11.07
- ^ 【J2:第34節 水戸 vs 札幌】木山隆之監督(水戸)記者会見コメント J's GOAL、2010.11.14
- ^ “期限付き移籍期間満了選手のお知らせ”. 2012年5月31日時点のオリジナルよりアーカイブ。2014年3月26日閲覧。 水戸ホーリーホック (2010年12月4日)
- ^ 選手出場記録 FC東京 2011Jリーグ ディビジョン2 Jリーグ 2011.12.03
- ^ 『週刊サッカーマガジン 祝J1リーグ昇格記念号 FC東京2011シーズン総集編』ベースボール・マガジン社、2011年、37頁。
- ^ FC東京、意識改革が導いたJ1昇格 まさかの降格から1年、再び最高の舞台へ スポーツナビ (2011年11月21日)
- ^ 下田光平選手 FC町田ゼルビアへ期限付き移籍のお知らせ FC東京 (2012年3月18日)
- ^ 下田光平選手 FC東京より期限付き移籍のお知らせ FC町田ゼルビア (2012年3月18日)
- ^ 選手出場記録 Jリーグ (2012年11月11日)
- ^ V長崎、新戦力 MF下田光平 47NEWS (2013年2月6日)
- ^ 下田光平選手の負傷について FC町田ゼルビア 2012.05.22
- ^ [町田]長期離脱していた下田選手が全体練習に復帰!「一つの駒としてチームに貢献できるように」 blogola 2012.09.12
- ^ 下田光平選手の契約に関しまして FC町田ゼルビア (2012年12月6日)
- ^ 下田光平選手V・ファーレン長崎へ完全移籍のお知らせ FC東京 (2012年12月28日)
- ^ “下田光平選手 FC東京より完全移籍加入のお知らせ”. 2013年1月29日時点のオリジナルよりアーカイブ。2012年12月28日閲覧。 V・ファーレン長崎 (2012年12月28日)
- ^ 2013Jリーグ J2リーグ戦 第8節 退場に伴う下田光平選手(長崎)の出場停止処分について Jリーグ (2013年4月15日)
- ^ 『週刊サッカーダイジェスト2014Jリーグ総集編』日本スポーツ企画出版社、2014年、184頁。
- ^ 契約満了選手のお知らせ V・ファーレン長崎 (2014年11月27日)
- ^ 下田光平選手、V・ファーレン長崎より完全移籍のお知らせ - 2015年1月9日 ブラウブリッツ秋田公式HP
- ^ 下田光平選手、現役引退のお知らせ - 2017年12月15日 ブラウブリッツ秋田公式HP
- ^ AFCが五輪最終予選の予備登録メンバーを公表、宇佐美や宮市ら海外組5人の名も ゲキサカ (2011年11月26日)
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