三笠宮
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/30 05:30 UTC 版)
三笠宮家 | |
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家祖 |
三笠宮崇仁親王 (大正天皇第4皇男子) |
種別 | 皇族(宮家) |
出身地 | 東京都 |
著名な人物 |
三笠宮崇仁親王 寬仁親王(第1男子) 甯子内親王(第1女子) 宜仁親王(第2男子) 容子内親王(第2女子) 憲仁親王 |
支流、分家 |
桂宮 高円宮 |
凡例 / Category:日本の氏族 |
皇室 |
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ここでは崇仁親王が設立した三笠宮家(直宮家)についても解説する。現当主は崇仁親王妃百合子。
概要
三笠宮の宮号は、1935年(昭和10年)12月2日に崇仁親王が成年式を行った際に賜ったもので、阿倍仲麻呂の和歌「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」に出てくる奈良の三笠山にちなんで命名された。同時に大勲位に叙せられている。
1980年(昭和55年)11月7日、長男の寬仁親王が結婚を機に寬仁親王家として三笠宮本家から独立。
2012年(平成24年)6月6日、寬仁親王が後継者たる男子をもうけないまま薨去。家族である寬仁親王家は三笠宮本家と合流。
2016年(平成28年)10月27日に当主崇仁親王が薨去。それに伴い11月16日、皇室経済会議により崇仁親王妃百合子を2代目当主と認定。
現在の三笠宮家は男子(親王・王)が不在であり、現行皇室典範上においては、崇仁親王妃百合子、および寬仁親王妃信子とその子である彬子女王・瑶子女王の薨去、または皇籍離脱をもって宮家が断絶することになる。これは寛仁親王の傍系にあたる高円宮家においても同様である。
構成
名 | 性別 | 生年月日 | 現年齢 | 続柄 | 概要 |
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崇仁親王妃 |
女性 | 1923年6月4日 | 100歳 | 三笠宮崇仁親王妃 | |
寬仁親王妃 |
女性 | 1955年4月9日 | 68歳 | 寬仁親王妃 | 2013年に合流 |
女性 | 1981年12月20日 | 41歳 | 寬仁親王第一女子 | 2013年に合流 | |
女性 | 1983年10月25日 | 39歳 | 寬仁親王第二女子 | 2013年に合流 |
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