三人娘 (1955-) 現在

三人娘 (1955-)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 02:50 UTC 版)

現在

チエミが1982年に45歳で、ひばりが1989年に52歳でそれぞれ若くして病気により逝去した。2024年、現在も存命中なのはいづみのみとなっている。現在でもいづみはテレビ出演やコンサート、CDの発売などの音楽活動を精力的に行っている。いづみは謙遜的な意味合いから「自分にはヒット曲がない」と発言することもある。近年のテレビなどでは、自身の持ち歌よりもチエミ・ひばりのヒット曲を歌う機会の方が多く、いづみがテレビ出演した際は必ずと言っていいほど「三人娘」のエピソードが語られている。さらに自身のCDに二人の歌を入れることも多く、1998年には「三人娘を唄う」というアルバムも発売し、三人の持ち歌をいづみが歌唱している[4]

エピソード

1953年にはチエミが渡米していたが、その間にいづみが歌手デビューした。そのことを知ったチエミの帰国第一声は「雪村いづみって、どんな子?」だったという。しかもいづみのデビュー曲が自らカバーしようと準備していたテレサ・ブリュワー「想い出のワルツ」(原題: Till I Waltz Again with You)だったのでチエミは心中おだやかではなかったが、スカートの丈が合わずシミーズが少し出た背の高い痩せぎすな少女・いづみが空港で出迎え、その屈託の無い可憐な姿にチエミの心は和み、やがて二人は終生の親友となった。

1956年の「第7回NHK紅白歌合戦」には、当初いづみも出演予定だったが、本番当日胃痙攣の為に出場辞退、突然の出来事で代役を立てる事も出来なかった事から、急遽チエミがいづみの分も合わせて、出場者の印である赤い花を2つ胸に付けた。そして、自宅療養していたいづみからの「チー子がんばれ! テレビで観てる」との電報を読み上げたのち、「お転婆キキ」を熱唱した。

1962年の映画『三百六十五夜』に、東映東京撮影所の所長兼取締役・岡田茂が当時チエミの夫だった高倉健をスターにするため、「三人娘」と高倉と鶴田浩二を共演されることを企画した。岡田はチエミに「亭主の高倉主演で『三百六十五夜』を撮りたい。当てて高倉に実績を残すためにも、三人娘で色どりを添えたいんだ」とオファーしたが、チエミは「いやです。わたしは仕事と私生活を混同したくないんです。亭主は亭主です。そういう映画には出たくない」と即座に断ったという。高倉は岡田から「おまえ、女房になめられてるじゃないか。今後ウチでは、チエミは一切つかわんからな。チエミごときになめられて、勝手なことをやられているようでは一人前になれないぞ。おまえが大スターになって見返さんと駄目だよ」と発破をかけられ、高倉は奮起を促されたという[5]

1971年の「第22回NHK紅白歌合戦」には、チエミが「旅立つ朝」でヒットを出していたこともあり、NHK側は「三人娘」を久しぶりに揃って出場させ、コーナー企画でジャズでも歌わせようという企画があった。しかし、チエミが前年に引き続き紅白出演を辞退したため、ひばりとも親交があった真帆志ぶきがチエミの代わりになり、ミュージカル「アニーよ銃を取れ」の挿入歌「男にゃ負けない」の替え歌を三人で歌った。なお、「アニーよ銃を取れ」はチエミがかつて主演したことのあるミュージカルである。

1982年2月にチエミが急逝した際には、親友だったひばりといづみはショックを隠しきれずに泣き崩れ、チエミの葬儀の席でも深い悲しみに暮れていたという。

それから7年後の1989年6月にもひばりが逝去した際、「三人娘」の独りだけとなったいづみは、「チーちゃん(チエミ)は北海道、お嬢(ひばり)は神戸で…」と、共に二人の最期に立ち会う事は出来ず、号泣し続けていた。同年7月にひばりの音楽葬に参列したいづみは、ほか参列した歌手仲間とともに「川の流れのように」を歌唱し、ひばりの霊前に捧げていた。

関連人物


  1. ^ 『昭和歌謡映画館』 146頁。
  2. ^ 『江利チエミ物語』 110-111頁。
  3. ^ a b 三人娘 半世紀ぶりにCDで集結スポニチアネックス、2004年6月23日。
  4. ^ Amazon.co.jp:三人娘を唄う
  5. ^ 松島利行『風雲映画城』 下、講談社、1992年、72-73頁。ISBN 4-06-206226-7 


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