万里小路家 幕末の領地

万里小路家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/27 03:22 UTC 版)

万里小路家(までのこうじけ)は、藤原北家勧修寺流支流の公家華族だった家。公家としての家格名家、華族としての家格は伯爵[1]


注釈

  1. ^ 国立歴史民俗博物館の『旧高旧領取調帳データベース』によれば幕末期の万里小路家領は、山城国愛宕郡一乗寺村のうち50石、山城国葛野郡朱雀村のうち30石、山城国乙訓郡下植野村のうち50石、山城国乙訓郡今里村のうち90石、山城国乙訓郡粟生村のうち166石9斗、山城国紀伊郡吉祥院村のうち4石7升であり、合計6村・390石9斗7升。
  2. ^ 正親町家の大納言直任(中納言からそのまま大納言になることを直任といい、直任される家は中納言を一度辞してから大納言になる家より格上と見なされていた)の回数は9回なので叙爵内規の伯爵の基準である「大納言まで宣任の例多き旧堂上」に該当[6]

出典

  1. ^ 小田部雄次 2006, p. 325.
  2. ^ 朝日日本歴史人物事典『万里小路藤房』 - コトバンク
  3. ^ a b c d 華族大鑑刊行会 1990, p. 138.
  4. ^ 浅見雅男 1994, p. 24.
  5. ^ 小田部雄次 2006, p. 13-14.
  6. ^ 浅見雅男 1994, p. 118.
  7. ^ 小田部雄次 2006, p. 324.
  8. ^ a b 華族大鑑刊行会 1990, p. 714.
  9. ^ 華族大鑑刊行会 1990, p. 341.
  10. ^ 甘露寺兼長の子。
  11. ^ 甘露寺親長の子。
  12. ^ 勧修寺教秀の三男。
  13. ^ 勧修寺晴右の三男。
  14. ^ 清閑寺熙房の末子。
  15. ^ 勧修寺高顕の二男。
  16. ^ 平松時行の子。


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