ローザ・ルクセンブルグ (バンド) ローザ・ルクセンブルグ (バンド)の概要

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ローザ・ルクセンブルグ (バンド)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 14:24 UTC 版)

来歴

1983年、玉城とどんとが京都ライブハウス拾得」で知り合ったことをきっかけに結成。バンド名の由来は同名の思想家

1984年NHKのコンテスト『YOUNG MUSIC FESTIVAL』に、後のデビュー曲となる「在中国的少年」を引っ提げ出場、審査員の矢野顕子細野晴臣らに絶賛され金賞を受賞、注目を浴びる。

1986年、シングル「在中国的少年」アルバム『ぷりぷり』でミディからデビューする。「在中国的少年」はNHKのコンテストの受賞曲であるが、レコーディングの際に加えられた間奏での「○○アル」という協和語の語りが差別的であるとしてNHKでは放送自粛となった[1]

ルーツ・ミュージックに傾倒するどんと、永井、ロック志向の玉城の間で音楽性の相違を理由にする軋轢が生まれ、1987年8月Shibuya eggmanでのライブを最後に解散。翌月、そのライヴの模様を完全収録したアルバム『LIVE AUGUST』が発表。いくつかの楽曲はボ・ガンボスのレパートリーとして引き継がれている。

メンバー

久富隆司(どんと 1962年8月5日 - 2000年1月28日
ヴォーカル、ギター、ハーモニカ
ローザ・ルクセンブルグ解散後、永井と共にBO GUMBOSを結成。
玉城宏志(1958年3月4日 - )
ギター、ヴォーカル
解散後ソロアルバム『STRATRED』をリリース、現在はマチルダ・ロドリゲスで活動。
永井利充(1961年10月23日 ‐ )
ベース、ボーカル
ボ・ガンボス解散後、Dr.TOSH & LOVE Jで活動。
三原重夫(1960年2月3日 - )
ドラム
解散後、メトロファルス、ルースターズザ・スターリンなどでドラマーとして活動。
現在はドラム調律師として数多くのバンドに関わっている。

ディスコグラフィー

シングル
  1. ROSA LUXEMBURG1984年6月2日)自主制作ソノシート
  2. 在中国的少年1986年2月21日
  3. さいあいあい(1986年12月20日
オリジナル・アルバム
  1. ぷりぷり(1986年2月21日)
  2. ROSA LUXEMBURG II(1986年12月20日)
ミニ・アルバム
ライブ・アルバム
ベスト・アルバム
ボックス・セット
  • ローザ・ルクセンブルグ コンプリート・コレクション2013年7月10日
映像作品
  • ROSA LUXEMBURG 1987.8.51987年
    • 2005年10月26日、「ラストツアー! 昭和62年8月5日渋谷エッグマン」としてDVD化され再発。
  • ローザ・ルクセンブルグ ラスト・ツアー(2013年9月18日
    • 「ラストツアー! 昭和62年8月5日渋谷エッグマン」に特典映像を追加したもの。
参加作品

CM

蝶を模した衣装を着たメンバーが「セブンイレブンのハンバーガーが、生まれ変わったんだ!ピクニックだ!」と言い楽器を鳴らす演出

  1. ^ 『宝島3月号』JICC出版局、1986年3月1日、161頁。 


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