ロシア演劇
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起源
ロシア最初の俳優はスコモローヒ(放浪芸人)と呼ばれていた。スコモローヒについては、キエフにあるソフィア寺院のフレスコ画に描かれているものが最古のもので、11世紀中頃とされる。[1]そして17世紀末までは、このスコモローヒによる芸能が民衆の主要な娯楽であった。スコモローヒには楽師、歌い手、踊り手、調教された熊による芸を行う者などがいた。このようなことを行うのは、一般に貧しい放浪者であった。また、スコモローヒは徐々に興行のために見世物小屋(バラガン)を作るようになる。
16世紀中頃、ロシアでも宗教劇が行われる。「かまどの劇」「最後の審判の劇」「ロバに乗った行進の劇」がロシア最初の宗教劇とされる。
17世紀に入ると、ロマノフ王朝二代目皇帝のアレクセイ・ミハイロヴィチが、ヨーロッパの宮廷劇場をまねてロシア最初の宮廷劇場を作る。シメオン・ポロツキーが「ネブカドネザル王の喜劇」(後に「放浪息子の喜劇」と改題)を上演する等が行われた。建設にあたっては、大貴族(ボヤーリン)アルタモン・マトヴェーエフが中心となった。またルター派牧師のドイツ人ヨハン・ゴトフリード・グレーゴリに俳優術を教えるよう依頼するなどした。この宮廷劇場は建設された1672年からアレクセイの亡くなる1676年まで存続した。
その後ピョートル1世にロシアの首都がモスクワからサンクトペテルブルクへと移され、ヨーロッパで教育を受けていたピョートルはヨーロッパ文化をロシアへと広めた。また演劇にも関心を持ち、庶民啓蒙の手段として希望すれば誰でも観ることができるようにと劇場を建てた。
アンナ・イオアンノヴナの時代には国務より娯楽を好んだアンナの治世が、クーデターを引き起こすなどしたものの、その後のエリザヴェータの時代には科学や文化の発展が起こる。特に彼女はロシア初のプロ劇団形成へ、重要な役割を果たすことになる。
18世紀
フョードル・グリゴーリエヴィチ・ヴォルコフ(1729 - 63)が、1750年にヤロスラヴリにおいてロシア最古のプロの劇場を創設し、成功を収めていた。これを聞いたエリザヴェータはヴォルコフをペテルブルクへ招き、1756年に「喜劇および悲劇上演のためのロシア劇場」設立とそのための融資に関する勅令を出した。そして初の国立プロ劇団が出来た。これがアレクサンドリンスキー劇場の起源である。
また、モスクワにもエリザヴェータの元プロ劇団が作られ、これは後のマールイ劇場となる。そしてこれらの劇場は帝室劇場と呼ばれるようになる。
この頃には、裕福な貴族が自宅に劇場を作る習慣があった。俳優のほとんどは農奴であった。1757年にロシア最初の女優タチアーナ・トロエポーリスカヤが出た。
エカチェリーナ2世の時代には、1766年に舞台芸術に対する国家の支援の形や規模を定めた「劇場に所属する全ての人々に対する支出項目」という文書が公布された。そして1783年には国からの支援はないものの、自由に興行が出来るようになった。これは、国家の演劇の独占廃止に当たる。特に演劇はモスクワで盛んに行われた。
この頃、ロシア演劇はフランスの演劇を主にモデルとしていた。モリエール・デトゥシュ・レナルド・コルネイユ・ラシーヌなどの戯曲も多く上演されていた。1782年デニス・フォンヴィージン(フランス文化の崇拝者だった。ヴォルテール、ディドロ、ルソーらの思想)が「親がかり」で大成功を収めた最初のロシア戯曲であり、ロシアの現実を反映していた。ロシア独自の演劇の始まりに当たる。
19世紀 シェープキンからスタニスラフスキー
詳しくは「ミハイル・シェープキン」 「コンスタンチン・スタニスラフスキー」を参照
19世紀の初め、ロシア演劇界は芝居がかった演技(紋切り型)が幅を利かせていた。それを変えようとしたのがミハイル・シェープキンである。彼はロシアで最初にシェイクスピア劇を上演した一人でもあった。「ベニスの商人」(シャイロック役)
背が低く肥満であったものの、その高い演技力から多くの人を魅了する役者であった。そのシェープキン(シチェープキン)を尊敬し、自身のシステムを構築する際、それが偉大なロシアの俳優ミハイル・シェープキンが確立したさまざまな原理に多くの点で依拠していることを認めているとしたのがスタニスラフスキーであった。スタニスラフスキーは芝居がかった演技を変える訓練法を構築した。
また19世紀のロシア演劇は、ロシアの社会思想の表現者となり多くの作品が生まれた。グリボエードフ、プーシキン、ゴーゴリ、オストロフスキー、チェーホフなどが作品を残した。
- ^ マイヤ・コバヒゼ著『ロシアの演劇ー起源、歴史、ソ連崩壊後の展開、21世紀の新しい演劇の探求』2013年、生活ジャーナル、p.9
- ^ “世界の演劇-世界の劇場 ロシア”. 2020 8/14閲覧。
- ^ 「我々は再びまたチェーホフに、個人としての、神の創造物としての、そして何かのためにこの世で生き、何かのためにこの世から去るものとしての自分の本質について、最も重要な問題を投げかけようとしています。チェーホフはロシア文学で最も偉大なヨーロッパ人です。彼が生きて執筆していたのは、おそらく、ロシア史で最も幸せな時期です。思い出して下さい、『三人姉妹』の中の「今は拷問もなく、死刑も侵攻もない、なのに、それとともにどれだけ苦しみがあることか!」という一節を。個性が成立しなければならないのに、それが成立するのがとても難しいということによる、各個人の悲劇性を、チェーホフはきわめて鋭く感じていたのです。」 とイズヴェスチャ紙、2009年8月13日付で述べている。(『ロシアの演劇ー起源、歴史、ソ連崩壊後の展開、21世紀の新しい演劇の探求』2013年、マイヤ・コバヒゼ著、生活ジャーナル、p.107)
- ^ マイヤ・コバヒゼ著『ロシアの演劇ー起源、歴史、ソ連崩壊後の展開、21世紀の新しい演劇の探求』2013年、生活ジャーナル、p.84
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