ロシア演劇 20世紀から現代

ロシア演劇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 19:58 UTC 版)

20世紀から現代

スタニスラフスキー・システムによる伝統が残り、心理を重んじる演劇がロシアの伝統となった。そして俳優訓練法の基礎としてスタニスラフスキー・システムが利用されている。またソ連時代までは国が演劇教育を管理していたが、今もその大枠は残っている。スターが母校で教鞭をとる伝統も存在する。また劇場に付属大学がある。演出家や俳優の大半は国立演劇大学の出身で、入学試験は数十倍の倍率である。

特にモスクワには数多くの劇場が存在している。以下が主要な劇場である。

モスクワの劇場

モスクワ芸術座・・・1960年代に停滞、1970年にオレグ・エフレーモフを演出に招く(モスクワ現代人劇場を創設、かつてモスクワ芸術座付属演劇大学で学び教鞭もとる)ことで社会的・政治的演目が増える。1973年にトヴェールスコイ大通りの新劇場と、トヴェールスカヤ通り(ゴーリキー通り)の旧劇場で対立が起こる。19867年に女優タチヤナ・ドロニナ(タチャーナ・ドローミナ)がトベリスコイ通りの新劇場で公演、ゴーリキー記念モスクワ芸術座を名乗る。旧劇場はソビエト以前のスタイルになる。ゴーリキー記念モスクワ芸術座は現在では存在感が薄いとされる。2000年、芸術監督にオレグ・タバコフを招く。

マールイ劇場・・・ロシアの俳優の基礎を築く。パーヴェル・モチャロフ、ミハイル・シェープキン、グリケリヤ・フェドトワなどの俳優。オストロフスキーの48戯曲が全てマールイ劇場初演。現代では古典作品一辺倒で、伝統を守る姿勢を貫いている。俳優ユーリー・サローミンが今の中心。シェープキン記念演劇大学が付属されている。

ワフダンコフ記念劇場・・・スタニスラフスキーの教え子、エヴゲーニイ・ワフダンコフ(イェヴゲニー・ヴァフタンゴフ) が1920年初頭に設立。ワフダンコフは本番中も稽古中も即興を重視、祭りのように華やかで幻想的な舞台芸術を目指した。俳優ミハイル・ウリヤノフが長年けん引。

  • マヤコフスキー記念劇場
  • モスクワ現代人劇場・・・オレグ・ニコラエヴィチ・エフレーモフ(1925-1987)が1956年に立ち上げる
  • タガンカ劇場
  • オレグ・タバコフ劇場・・・エヴゲニー・ミローノフはロシア一の俳優ともいわれる。
  • ピョートル・フォメンコ工房
  • 舞台劇術スタジオ
  • レンコム劇場
  • 民族劇場
  • ドラマ芸術学校
  • ゴーゴリセンター
  • 舞台芸術・演出センター
  • プラクチカ劇場
サンクトペテルブルクの主要劇場

アレクサンドリンスキー劇場・・・廃れていたが2003年からワレリー・フォーキンが芸術監督に

マールイ・ドラマ劇場・・・1944年開設。レフ・アブラモヴィチ・ドージン[3](ポストソヴィエト演劇の重要人物、1944年生まれ)が主導。1989年に’ヨーロッパの劇場’の地位をヨーロッパ演劇同盟総会決議で与えられる。

ボリジョイドラマ劇場・・・20世紀後期を主導、ギオルギー・アレクサンドロヴィチ・トフストノーゴフ(1915-1989)が黄金期を築く。グルジア首都トビリシで生まれた彼は、モスクワの国立舞台芸術大学で学んだ後にボリジョイドラマ劇場(BDT)で主に活躍した。1956年にやってきた際のBDTは芳しい状況ではなかったものの、これを国中で最も成功したといえる劇団に作り変えた。エヴゲーニー・レーベジェフ、パーヴェル・ルスペカーエフ、キリール・ラヴローフ、オレグ・バシラシヴィリ、エフィム・コペリャン、セルゲイ・ユールスキー、タチヤーナ・ドローニナ(ゴーリキー記念モスクワ芸術座を主導)、アリーサ・フレインドリフなど名優を輩出。また1983年、1987年には日本にも来ている。スタニスラフスキーシステムを使用。[4]

レンソビエト・サンクトペテルブルク劇場・・・1933年、メイエルホリドの弟子イサク・クロールらが設立

ヴェーラ・コミッサルジェフスカヤ記念劇場・・・ヴェーラ・コミッサルジェフスカヤ(1864~1910 アレクサンドリンスキー劇場)が設立。ヴェーラとマリヤ・エルモロワがロシア演劇において二大スターとされる。

ヤロスラヴリ

フョードル・ヴォルコフ記念ヤロスラヴリ・ドラマ劇場 など

エカテリンブルク

コリャダ劇場 など

オムスク

オムスク・ドラマ劇場 など

ノボシビルスク

クラースヌィ・ファーケル劇場 など


  1. ^ マイヤ・コバヒゼ著『ロシアの演劇ー起源、歴史、ソ連崩壊後の展開、21世紀の新しい演劇の探求』2013年、生活ジャーナル、p.9
  2. ^ 世界の演劇-世界の劇場 ロシア”. 2020 8/14閲覧。
  3. ^ 「我々は再びまたチェーホフに、個人としての、神の創造物としての、そして何かのためにこの世で生き、何かのためにこの世から去るものとしての自分の本質について、最も重要な問題を投げかけようとしています。チェーホフはロシア文学で最も偉大なヨーロッパ人です。彼が生きて執筆していたのは、おそらく、ロシア史で最も幸せな時期です。思い出して下さい、『三人姉妹』の中の「今は拷問もなく、死刑も侵攻もない、なのに、それとともにどれだけ苦しみがあることか!」という一節を。個性が成立しなければならないのに、それが成立するのがとても難しいということによる、各個人の悲劇性を、チェーホフはきわめて鋭く感じていたのです。」 とイズヴェスチャ紙、2009年8月13日付で述べている。(『ロシアの演劇ー起源、歴史、ソ連崩壊後の展開、21世紀の新しい演劇の探求』2013年、マイヤ・コバヒゼ著、生活ジャーナル、p.107)
  4. ^ マイヤ・コバヒゼ著『ロシアの演劇ー起源、歴史、ソ連崩壊後の展開、21世紀の新しい演劇の探求』2013年、生活ジャーナル、p.84





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