ホンダ・NSR500 歴史

ホンダ・NSR500

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 03:10 UTC 版)

歴史

1984 - 1986年

NSR500(TYPE-1)

約1年間の開発期間を経て登場した1984年モデルのTYPE-1は、通常はエンジンの真上にある燃料タンクがエンジン下にマウントされ、排気管をエンジンの上に通すという、独創的なレイアウトを採用。重い燃料タンクを車体下部に置いて重心を下げ、燃料の減少による操縦性の変化を抑えようという狙いがあったが、TYPE-1ではエンジン下の燃料タンク内に仕切り板を設けるなど前輪分布荷重を最後まで乱さない工夫をしていたが、それでもトランスアトランティックカップでのスペンサーの転倒でも判るように実際にはレース終盤になると前輪分布荷重が減り、相対的に後輪荷重が大きくなるという悪癖に悩まされ続けた。また、この特徴的なレイアウトによる熱害によるキャブレーション問題と、異常なほどの整備性の悪さも重なり、具体的には燃焼ガスによって高温に熱せられる排気チャンバーが吸気を熱してしまうというものだった。このキャブレーション問題をさらに詳しく言えば、ベルギーのスパ(第9戦)やオーストリアのザルツブルクリンク(第6戦)、ドイツのニュルブルクリンク(第5戦)などの標高の高いサーキットでは空気中の酸素濃度も薄くなるため熱害がさらに深刻になりプラグのカブりも酷くなって本来のパワーが出せないというものだった。また、整備性の問題はもっと酷く、通常であればエンジン上部にある燃料タンクを取り外せばアクセスできるエンジン周りが、排気チャンバーを外さないと整備やセッティング変更ができず、走行直後では、排気チャンバーは排気熱で非常に高温になっており、外すことも困難だったため、キャブレターのジェット変更やプラグ交換、プラグの焼け具合のチェックにすら苦難が伴ったというメンテナンス性の低さ等により、TYPE-1の独創的レイアウトは永く採用されなかった。翌1985年型のTYPE-2以降は燃料タンクがエンジンの上に、そして排気チャンバーはエンジン下を通る一般的なレイアウトに戻され、心臓部の2ストローク500ccエンジンは、1984年から1986年までシリンダー挟み角90度のV4エンジンで排気チャンバーは前方に伸びるレイアウトで、キャブレターは後方2気筒の背後に位置しており、1987年型のTYPE-D以降2002年の最終型まで挟み角112度のV4エンジンで排気チャンバーは前2気筒が前方、後2気筒が後方に伸び、キャブレターはVバンク内に位置するレイアウトとなった。ともに1軸クランクシャフトを採用。当初90度の挟み角で向かい合うシリンダーの間にキャブレターを配置する空間が取れず、後方2気筒の後ろにキャブレターを配置していた為、後方2気筒の排気ポートを前方に向けて取り回すより他はなく、排気チャンバーがエンジンの下側で複雑に絡み合う状態となっていた。

1987 - 1991年

NSR500のエンジン

1987年以降、NS500の経験からシリンダーの挟み角を112度へと変更。互いに向き合うシリンダー間にキャブレターを置くレイアウトに変更。それにより、後ろ側2気筒はストレート形状の後方排気となり、車体下部のボリュームダウンと排気系の取り回しが改善されている。

1988年までは、シリンダーの点火順序は90度等間隔爆発方式、1989年にはサーキットの特性に合わせて、180度等間隔同爆仕様のエンジンを使用したと言われている。また、ヤマハやスズキと同様の2軸クランクシャフト方式のエンジンが試作されて研究されていたが、当時のHRC社長である福井威夫の「猿まねするな」の一言により実戦への投入の申請は却下された[2]

1991年に投入したフレームは2000年仕様まで設計が変更されていない。

1992 - 2002年

1992年には、それまでひたすらにハイパワーを追求して他社を引き離すという「馬力至上主義」ともいえる開発方針は転換され、ライダーに扱いやすい過渡特性でエンジン出力をタイヤへ導くことに着目した、不等間隔位相同爆方式と呼ばれる技術を採用。この新エンジンは、通称ビッグバン・エンジンと呼ばれ、シーズン序盤から圧倒的な優位性を発揮した。有り余るハイパワーを確実に路面に伝えるため、エンジン出力の過渡特性を改善した技術はこのシーズンを席捲し、エースのマイケル・ドゥーハンは開幕から連勝を重ねることとなる。1990年頃からNSRの開発に発言権を持ち始めたドゥーハンの意見により、ライダーに扱いやすいエンジン特性が重要視され始めた。また、マシンのパッケージに大きな変化を与えず、前年モデルをじっくりと熟成させていく方針もドゥーハンによるところが大きかったといわれる。

1997年シーズンには、このビッグバン・エンジンの技術をベースに、かつての等間隔爆発に近い点火順序を与えたスクリーマー・エンジン仕様のNSRが登場。この新しい試みのエンジンにテストで好感触を得たドゥーハンは、ただひとりスクリーマー・タイプのエンジンを選択。1989年以来、等間隔爆発のハイパワーエンジンで戦った過去の経験が充分に活かされ、このシーズンはドゥーハン単独で12勝をマーク。僚友のアレックス・クリビーレ岡田忠之のビッグバン仕様での勝利も合わせ、コンストラクターとしてシーズン全勝の記録を残す圧倒的な強さを示した。以降無鉛ガソリンとなった1998年から2002年の最終型まで、スクリーマータイプのエンジンが標準仕様となった。

1999年のドゥーハン引退に伴い、開発の方向性を見失って一時期は低迷しかけるが、2001年の大幅な設計変更を受け、イタリアの新鋭バレンティーノ・ロッシがシーズン11勝を挙げチャンピオンを獲得し、再び圧倒的な速さと輝きを取り戻す。2002年加藤大治郎により最後の活躍を果たし、次世代のニューマシン、4ストローク990ccV型5気筒エンジン搭載のRC211Vへと主力の座を明け渡した。


  1. ^ 2st最後の技術革新は4st化だった-ビッグバンエンジンと同爆-|バイク豆知識”. https://bike-lineage.org. 2019年3月9日閲覧。
  2. ^ 『Honda Motorcycle Racing Legend vol.2』(八重洲出版) ISBN 978-4-86144-091-5






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