ホテルニュージャパン火災 ホテルニュージャパン火災の概要

ホテルニュージャパン火災

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/06 16:54 UTC 版)

ホテルニュージャパン火災
火災後の跡地(1993年8月30日撮影)
1996年に解体されるまで放置されていた
現場 日本東京都千代田区永田町2丁目13番8号
北緯35度40分32.9秒 東経139度44分19.3秒 / 北緯35.675806度 東経139.738694度 / 35.675806; 139.738694座標: 北緯35度40分32.9秒 東経139度44分19.3秒 / 北緯35.675806度 東経139.738694度 / 35.675806; 139.738694
発生日 1982年昭和57年)2月8日
3時16~17分頃[1]
類焼面積 4186 m2
原因 宿泊客の寝たばこの不始末
死者 33人
負傷者 34人

直接の原因は宿泊客の寝タバコの不始末だったが、同ホテルの内部構造上の問題に加え、当時同ホテルのオーナー兼社長だった横井英樹が行った利益優先主義に基づく経営や杜撰な防火管理体制なども被害拡大の要因となった。後に横井は、杜撰な防火管理体制の下に経営を行い、防火および消火設備の維持管理や従業員に対する指導を怠り、被害を拡大させたとして刑事責任を問われ、業務上過失致死傷罪により禁錮3年の実刑判決を受けている。

概要

火災は1982年昭和57年)2月8日午前3時過ぎに発生した[2][3]。ホテルニュージャパンの構造は鉄骨鉄筋コンクリート耐火造、地下2階、地上10階で、火災当時の状況は宿泊者352人、従業員21人、警備員5人だった[4][5]。なお、宿直従業員数については正規従業員が22人、下請従業員が13人(警備5人、機械設備5人、清掃3人)、その他1人とする資料もある[6]

出火日時は当初は日本時間午前3時24分頃とされていたが[4]、ホテルニュージャパン火災上告審判決では午前3時16分から17分頃としている[1](裁判記録等をもとにした調査研究では午前3時24分から26分には既に第1次フラッシュオーバーが発生していたとみられる[6])。出火場所は9階938号室のベッド付近でイギリス人男性が宿泊中だったが、寝タバコの火の不始末が原因で出火したものと推定されている[4][2][7]。吸殻の放置が原因でベッドの毛布または敷布に着火したとされている[4]。なお、この失火者のイギリス人男性はドアから廊下には避難していたが、後に死亡が確認されている[7][8]

火災を発見したのはフロント係の一人で、仮眠をとるためエレベーターを使って9階で降りたところ、煙の臭いを感じ、938号室のドアの隙間から煙が噴き出しているのを発見した[4]。火災を発見したフロント係は1階におりて、他のフロント係2人に必要事項を指示した[4]

消防機関の覚知日時は午前3時39分頃で119番通報によるものであった[4][5]、ただし、最初に消防機関に通報したのはホテルの従業員ではなく、通りがかりのタクシー運転手だった[7]。また第2報も近くにある議員宿舎の人からで、同じく午前3時39分台になされたものだった[3]。ホテルでは従業員のうち火災を発見したフロント係から必要事項の指示を受けたうちの1人が消防機関に通報したが[4]、従業員は社長から叱責されるのを恐れており、従業員からの通報は発見から20分も後だった[7]

初期消火の状況

火災を発見したフロント係はルームサービス係とともにエレベーターで9階に行き、エレベーターホールに設置されていた消火器を持って938号室で使用したものの消火できなかった[4]。フロント係は1階フロントに戻ってから再び9階に行き、屋内消火栓設備の起動ボタンを押したが作動しなかったとされた[4]。しかし、後述のように、その後の裁判記録等をもとにした調査研究では、実際には開栓できたものの水圧に押されてホースを取り落としたため使用を断念したことがわかっている[6]。初期消火の失敗により、以後、従業員による組織だった消火活動は行われなかった[4]

出火当時、10階には27人、9階に76人、8階以下に249人の宿泊客がいた[4]。しかし、館内放送による火災の報知は行われなかった[7]。9階では火災を発見したフロント係が廊下に出ていた数名の客をエレベーターで避難させ、続いて到着したガードマンがサービスステーション前にいた数名の客を避難階段に誘導した[4]。10階では別のガードマンが廊下にいた数名の客を階段で避難させ、フロント係が2名を階段に誘導した[4]。しかし、出火当時、従業員等による避難誘導はほとんど行われなかった[8]

消防隊の到着時には9階が延焼中で取り残された多数の宿泊客が窓などから救助を求めており[4]、繋いだシーツをロープ代わりにして降りようとする宿泊客もいた[7]。しかし、熱さに耐えきれずに数人が飛び降りる状況で[5]、この火災による死者33人のうち13人が窓から飛び降りて亡くなった[2](転落死者数については9階から11人、10階から3人とする資料もある[6])。

消防の対応

第一陣として麹町消防署永田町出張所第11特別救助隊(通称オレンジ、隊長・高野甲子雄)が出動した[5]。第11特別救助隊は守衛の案内で9階に到着したが、非常口のドアが熱で変形して動かせず、屋上に上がり素手で4人を引き上げて救助した[7]。素手での引き上げはマニュアルでは禁止されていたが、10階にも炎が到達していてロープは焼き切れる恐れがあったため素手による救助となった[7]。その後もフラッシュオーバーの発生などもありながら客室内からの宿泊客の救助活動を行った[7]

この火災ではフラッシュオーバーの多さが指摘されており、火災発生階では発生以来約1時間に20回、平均して3分に1回の割合で発生していた[6]

現場からの「上階が激しく延焼し、要救助者が多数発生している」という状況報告を受け部隊を増強し、午前4時2分に最高ランクの出場態勢である「火災第4出場」、さらに基本運用規程外の応援部隊を出場させる「増強特命出場」と、多数の負傷者に対応するための「救急特別第2出場」をあわせて発令した。そして消防総監が現場に出向き「本部指揮隊車」(東京消防庁本庁にだけある、指揮車の中で最も大きく重装備の車種)を使って出場全部隊を陣頭指揮するという、品川勝島倉庫爆発火災以来の、全庁を挙げての消火活動と救助活動を行った。

消防隊は救助活動を優先し、はしご車隊や特別救助隊などによって63人(2階屋上から9人、3階屋上から9人、8階から4人、9階から41人)が救助された[4]。消防機関の活動態勢は、出動人員では、消防職員627名、消防団員22名を投入[4]。出動車両では、消防ポンプ車48台、はしご車12台、救助車8台、救急車22台、空気補給車6台、消防ヘリコプター2機を含むその他27台が投入された[4]

なお、この火災が起きた翌9日の朝に日本航空350便墜落事故が発生し、相次ぐ惨事に東京消防庁とキー局は対応に追われた[5][9]

当時の様子はNHK『プロジェクトX 挑戦者たち』「炎上 男たちは飛び込んだ -ホテルニュージャパン・伝説の消防士たち-」および、テレビ朝日林修の今、知りたいでしょ!』「特別編 昭和・平成の大事件から学ぶSP」として放送された[10]

被害

鎮火日時は2月8日12時36分である[4]。死者33人、負傷者34人を出す惨事となった[4] (火災統計上の死者数は32人[3]、ホテルニュージャパン火災上告審判決の判決文も「三二名が火傷、一酸化炭素中毒、頭蓋骨骨折等により死亡」としている[1])。建物の7階から10階までと塔屋部分の4,186平方メートルを焼損した[4]

問題点

防火管理体制

管理権限者である社長の防火意識が希薄で、必要な従業員等への防災教育や避難訓練を実施しておらず、火災時の通報連絡や初期消火のための体制も整備されていなかった[4]。従業員や警備員は屋内消火栓の位置や正しい使用法、手動式非常ベルの操作法を知らなかった[11]

消防用設備等

スプリンクラーがほとんど設置されておらず、一部に防炎性能のないカーテンやじゅうたん等が使用されていた[4]。客室の内装(じゅうたんやカーテン)やリネン類(シーツや毛布類)が燃焼時に可燃性有毒ガスを発生させた[11]

  • スプリンクラーの設置に不備があった[4]
  • 防火戸の中には温度ヒューズが溶融しているにもかかわらず開放状態のままのものがあった[4]

また、非常用放送設備が故障しており[4]、館内放送用の配線端子とケーブルも一部が接触不良の状態になっていた[12]。館内非常ベルもあったものの、手動式で従業員が操作しない限り作動しない状態だった[11]

煙感知器に連動して閉じる防火扉も設置されていたが、廊下に敷かれたじゅうたんが邪魔で閉まらなかったとされ、この点は運営者の安全意識の欠如が指摘されている[11]

建築構造関係

竪穴区画や埋め戻しなどの点で防火区画が不完全で火災の延焼が早かったこと、居室や廊下の下地や仕上げ材に可燃性の材料が多く使われていたこと、防火戸の維持管理が不十分で一部は閉鎖できなかったことなどの問題があった[4]。また、外国人宿泊客が多い施設での非常時の適正な情報伝達が課題になった[4]

  • 客室の出入口扉が木製だった[4]
  • 客室間の間仕切壁の天井裏部分に間隙があった[4]
  • 客室間の間仕切壁の一部が木製だった[4]
  • 客室内浴室横のパイプ・ダクトシャフトにつながる換気ダクトや配管の埋め戻しが不完全だった[4]
  • パイプ・ダクトシャフトの防火区画壁の一部の埋め戻しが不完全だった[4]
  • 内装材に多くの可燃材が使用されていた[4]

また、建物自体の構造についても裁判で「Y字三差型の複雑な基本構造」と指摘されるなど問題があった[1]。フロアは直角ではなく120度の角度のY字型を組み合わせた平面設計になっていたため方向感覚が麻痺しやすい上、行き止まりの廊下も多く、初めての宿泊者にとって避難に困難を生じさせた[11]


注釈

  1. ^ 大阪府大阪市南区(現・中央区)難波新地(千日前)の千日デパートで発生。国内で発生したビル火災では史上最悪となる118名の死者と81名の負傷者を出した。ビルに限定しなければ、1943年(昭和18年)3月6日北海道虻田郡倶知安町で発生した布袋座火災で208名の死者を出している。
  2. ^ 刑事裁判記録には「従業員と警備員は『非常ベル発報、緊急館内放送、119番通報』という一連の行動をとる際に手が震え、ボタンを押すことやダイヤルを回す動作がうまくできなかった」と書かれている。
  3. ^ フラッシュオーバー現象発生時における炎の温度は約900 ℃に達するため、防火服を着用していても必ずしも安全とは限らない。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i ホテルニュージャパン火災上告審判決”. 最高裁判所. 2023年7月30日閲覧。
  2. ^ a b c ホテルニュージャパン火災”. NHKアーカイブス. 2023年7月20日閲覧。
  3. ^ a b c d e f 細川 顕司. “ホテル・ニュージャパン火災と新宿雑居ビル火災”. 災害対応研究会・会報 第11号. 災害対応研究会. pp. 8-11. 2023年7月30日閲覧。
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z aa ab ac ad ae af ag ah ai 東京都千代田区 ホテルニュージャパン”. 消防防災博物館. 一般財団法人 消防科学総合センター. 2023年7月20日閲覧。
  5. ^ a b c d e 死者33名史上最悪の「人災」ホテルニュージャパン火災を振り返る”. 現代ビジネス. 講談社. p. 1. 2023年7月20日閲覧。
  6. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w 岸田孝弥、池上徹「緊急時の人間行動(Ⅶ)「人的事故原因の調査・分析マニュアル」(旧・安全人間工学部会編)による問題点指摘についての考察」『人間工学』第30巻。 
  7. ^ a b c d e f g h i 死者33名史上最悪の「人災」ホテルニュージャパン火災を振り返る”. 現代ビジネス. 講談社. p. 2. 2023年7月20日閲覧。
  8. ^ a b 松宮孝明「川治プリンスホテル火災事件控訴審判決とホテルニュージャパン火災事件第一審判決」『南山法学』第12巻第1号、南山大学法学会、2018年4月16日、151-163頁。 
  9. ^ 当時東京メトロポリタンテレビジョン(TOKYO MX)は未開局。
  10. ^ 林修の今知りたいでしょ!|テレビ朝日”. web.archive.org (2024年6月11日). 2024年6月11日閲覧。
  11. ^ a b c d e 崎山 茂. “観光施設メディアラボ 公益社団法人国際観光施設協会編”. 公益社団法人国際観光施設協会. 2023年7月30日閲覧。
  12. ^ 自衛消防訓練マニュアル 近代消防社
  13. ^ 死者33名 史上最悪の「人災」ホテルニュージャパン火災を振り返る
  14. ^ 第96回国会 参議院 地方行政委員会 第4号 昭和57年3月23日”. 国会会議録検索システム. 2023年7月30日閲覧。
  15. ^ a b c ホテルニュージャパン火災控訴審判決”. 東京高等裁判所. 2023年7月30日閲覧。
  16. ^ 松井洋治「リスク・マネジメント―ホテル・旅館業界に見る危機管理の問題点と今後の方向性―」『埼玉女子短期大学研究紀要』第14号、埼玉女子短期大学、2003年3月、267-276頁。 
  17. ^ 最高裁平成5年11月25日決定-刑法判例百選I58事件。
  18. ^ なお、当時の業務上過失致死傷罪の自由刑の長期は3年だった
  19. ^ 奇跡体験!アンビリバボー:実録!国内大災害SP★ホテルニュージャパンの悪夢 - フジテレビ
  20. ^ https://twitter.com/zeebrathedaddy/status/1143169154700066816
  21. ^ https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201906250000143.html
  22. ^ 『讀賣新聞』1983年11月24日夕刊15頁「伊豆でホテル火事 "横井系列"これも欠陥だらけ 誘導なく、非常ベル鳴らず 老人ら472人あわや 6人ケガ」
  23. ^ 静岡新聞』1983年11月24日夕刊1頁「船原ホテルで火災 天城湯ケ島 老人クの客6人重軽傷 避難誘導が遅れる」


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