ペストの歴史
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ペストの歴史においては、人類は、過去に少なくとも3度のペストが大流行している。ただし、その発生や収束の時期、流行がどのパンデミックに分類するかについてはまだ議論が存在する[1]。
注釈
- ^ トゥキュディデス『戦史』によれば、「アテナイのペスト」はペロポネソス戦争時に流行したため、アテナイでは敵のスパルタ側が貯水池に毒を投げ込んだという噂がながれたという[9]。また、古代ギリシャ最大の民主政治家として知られ、アテナイでペロポネソス戦争を主導したペリクレスもこの感染症で死亡しており、疫病は、この戦争でのアテナイの敗北およびデロス同盟の解体を招いたともいわれる。
- ^ 地中海沿岸の各港は、ペストが交易船を媒介として広まることがわかると、感染地からの船舶の寄港を禁止した。ヴェネツィアでは、東方から寄港する船舶を沖合の島に40日間停泊させて、その隔離期間のなかで感染の有無を確かめさせた。検疫のことを英語でquarantinというが、これはイタリア語のquarantena(40日)に由来する。
- ^ ユダヤ教徒に被害が少なかったのはミツワーにのっとった生活のためにキリスト教徒より衛生的であったという説がある一方、実際にはゲットーでの生活もそれほど衛生的ではなかったとの考証もある[要出典]。
- ^ このような「17世紀の危機」論については、大久保桂子のように、17世紀前半に本当の「危機」をかかえていたのはスペインのカスティーリャであったろうが、一方では同時代の北部ネーデルラントは未曾有の繁栄を謳歌する「オランダ黄金時代」であったし、イングランドの毛織物輸出はエリザベス朝後半の大不況期を脱して好調だったことから、ヨーロッパのあらゆる地域、また、あらゆる面において「危機」的状況にあったわけではないことを指摘する声もある[37]。
- ^ ニュートンの三大業績は、すべてこの故郷での休暇期間でのことであり、この期間のことを「驚異の年」などとも呼んでいる[39]。
- ^ 飯島渉は、19世紀末から20世紀初頭にかけて流行したペストが雲南起源であったことが、マクニールに中世ヨーロッパのペストが雲南起源でモンゴル帝国によって媒介されたという着想をあたえたのではないかとしている[41]。
- ^ それ以前には「インダスの東にはペストは現れない」ということばさえあったという[5]。
- ^ 火葬場で焼却されたネズミの霊を供養するための鼠塚が1902年(明治44年)、渋谷区の祥雲寺境内に建てられた[46]。
- ^ 1930年とする資料もある[54]。
- ^ WHOの報告によれば、2004年から2009年までの間の世界全体の患者数は1万2,503人で、うち、死亡者はアフリカ、アジア、南北アメリカの16ヶ国から843人であった。調査の期間、毎年ペスト患者が報告されていた国は、コンゴ民主共和国、マダガスカル、ペルー、アメリカ合衆国の4か国である。
出典
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- ^ a b ペストとは 国立感染症研究所
- ^ 『警視庁東京府広報 明治33年綴』
- ^ 「跣足厳禁庁令発足」『毎日新聞』1901年5月31日。『新聞集成明治編年史. 第十一卷』、国立国会図書館近代デジタルライブラリー、2014年7月3日閲覧。
- ^ 『警視庁東京府広報 明治34年綴』
- ^ 『明治ニュース事典第7巻』(1986)p.685。原出典は『国民新聞』明治38年3月12日付
- ^ 坂口誠「近代大阪のペスト流行, 1905-1910年」『三田学会雑誌』2005年 97巻 4号 p.561-581, NAID 120005440787, 慶應義塾経済学会
- ^ a b c d e ペストとは 国立感染症研究所、2019年12月27日改訂
- ^ “日本小児科学会 予防接種・感染対策委員会「学校、幼稚園、保育所において予防すべき感染症の解説」”. 厚生労働省. 2020年1月22日閲覧。
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