ヘンリー・ブルーム (初代ブルーム=ヴォークス男爵) ヘンリー・ブルーム (初代ブルーム=ヴォークス男爵)の概要

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ヘンリー・ブルーム (初代ブルーム=ヴォークス男爵)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 00:37 UTC 版)

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初代ブルーム=ヴォークス男爵
ヘンリー・ブルーム
Henry Brougham
1st Baron Brougham and Vaux
生年月日 1778年9月19日
出生地 グレートブリテン王国スコットランドエディンバラカウゲート英語版
没年月日 (1868-05-07) 1868年5月7日(89歳没)
死没地 フランス帝国カンヌ
出身校 エディンバラ大学
所属政党 ホイッグ党
称号 初代ブルーム=ヴォークス男爵枢密顧問官(PC)、勅選弁護士英語版(QC)、王立協会フェロー(FRS)
配偶者 メアリー・アン・イーデン

内閣 グレイ伯爵内閣
在任期間 1830年11月22日 - 1834年7月9日

庶民院議員
選挙区 キャメルフォード選挙区英語版
ウィンチルシー選挙区英語版
ナレスバラ選挙区英語版
ヨークシャー選挙区英語版
在任期間 1810年2月2日 - 1812年10月10日[1]
1815年7月21日 - 1830年2月28日[1]
1830年2月16日 - 1830年8月[2]
1830年8月 - 1830年11月[2]

貴族院議員
在任期間 1830年11月22日 - 1868年5月7日[1]
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経歴

スコットランドエディンバラカウゲート英語版イングランド・ウェストモーランド・ブルーム・ホール英語版を本拠とする地主ヘンリー・ブルーム英語版とその妻エレノア(旧姓セイム)(Eleanor Syme)の長男として生まれる[2][4]

エディンバラ高校(Edinburgh High School)を経てエディンバラ大学へ進学[5]。1803年には王立協会フェローとなる[2]1808年にはリンカーン法曹院で学び、法廷弁護士となる[5][2]

1810年キャメルフォード選挙区英語版から選出されてホイッグ党所属の庶民院議員となったが、1812年の選挙で議席を失った。以降数年にわたって議会に議席をもたなかったが、1815年にウィンチルシー選挙区英語版から選出されて庶民院議員に復帰し、1830年までこの選挙区から選出された。1830年にはナレスバラ選挙区英語版ヨークシャー選挙区英語版と選挙区を変えながら1830年の叙爵まで庶民院議員を務めた[2][1][5]

所得税廃止、奴隷制廃止、過酷な刑罰の廃止、労働者階級への教育の普及などを主張し[3]、ホイッグ左派として知られた[6]

党内では党首の第2代グレイ伯爵チャールズ・グレイの側近であり[6]1830年11月22日にグレイ伯を首相とするホイッグ党政権が発足すると、連合王国貴族爵位ウェストモーランド州におけるブルームのブルーム=ヴォークス男爵(Baron Brougham and Vaux, of Brougham in the County of Westmorland)に叙されて貴族院議員に列するとともに[1]大法官に任じられた[5]。当時の大法官は貴族院議長の役割も果たしており、第一次選挙法改正法案の貴族院通過に尽力した[3]

1834年のグレイ伯の辞任とともに辞職した。以降は政治的影響力を弱めた[3]

息子がなく、1830年創設のブルーム=ヴォークス男爵は廃絶濃厚だったので、1860年には弟ウィリアム英語版を特別継承者(special remainder)とする連合国貴族爵位ウェストモーランド州におけるブルームおよびカンバーランド州におけるハイヘッド城におけるブルーム=ヴォークス男爵に叙せられた[5][2]

1868年5月7日フランスカンヌで死去した[2]。死去とともに1830年創設のブルーム=ヴォークス男爵位は廃絶した。1860年創設のブルーム=ヴォークス男爵位は弟ウィリアム英語版が継承した[5]

栄典

爵位

1830年11月22日に以下の爵位を新規に叙せられた[5][2]

1860年3月22日に以下の爵位を新規に叙せられた[5][2]

  • ウェストモーランド州におけるブルームおよびカンバーランド州におけるハイヘッド城の初代ブルーム=ヴォクス男爵
    (1st Baron Brougham and Vaux, of Brougham in the County of Westmorland and of Highhead Castle in the County of Cumberland)
    (勅許状による連合王国貴族爵位。彼の弟ウィリアム英語版とその男系男子を特別継承者とする規定付き)

その他


  1. ^ a b c d e UK Parliament. “Mr Henry Brougham” (英語). HANSARD 1803–2005. 2019年3月28日閲覧。
  2. ^ a b c d e f g h i j k l Lundy, Darryl. “Henry Brougham, 1st Baron Brougham and Vaux” (英語). thepeerage.com. 2019年4月18日閲覧。
  3. ^ a b c d 松村赳 & 富田虎男 2000, p. 98.
  4. ^ Heraldic Media Limited. “Brougham and Vaux, Baron (UK, 1860)” (英語). Cracroft's Peerage The Complete Guide to the British Peerage & Baronetage. 2019年4月18日閲覧。
  5. ^ a b c d e f g h i  この記事にはアメリカ合衆国内で著作権が消滅した次の百科事典本文を含む: Chisholm, Hugh, ed. (1911). "Brougham and Vaux, Henry Peter Brougham, 1st Baron". Encyclopædia Britannica (英語). 4 (11th ed.). Cambridge University Press. pp. 652–655.
  6. ^ a b 君塚直隆 1999, p. 60.


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