プロメテア 作風とテーマ

プロメテア

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作風とテーマ

題材

作者アラン・ムーアは個人的に執着していたテーマ(神秘学魔術、スーパーヒーロー・ジャンル、ファンタジーと芸術の意味についての考察)を本作で一つに融合させている[37]。作中では神秘学、タロットヘルメス主義カバラ英語版のような題材が扱われており、画面には神話から取られた神秘的象徴や、多様な宗教・文化に関する図像が多く使われている。登場する実在人物にはアレイスター・クロウリージョン・ディーオースティン・オスマン・スパージョン・ケンドリック・バングズ英語版(作中では主人公ソフィー・バングズの血縁者)がいる[65]

本作では物質主義への批判も行われている。想像界は物質界の上位に置かれ、メタファーと物語がフィクション・宗教神話・言語を通じて現実を形作っているという図式が示される[66]。物語の結末で主人公は、人類の意識を解放することで現代社会を「消滅」させる[66][51]。Kraemerらは、芸術を通じた意識の革新によって社会を変革させるという展開がロマン主義の系譜にあると位置づけている[55]。超人が世界に終末をもたらそうとするテーマはムーアが過去作で繰り返し書いてきたが、それが社会の基盤にある幻想を打倒することだという点は本作ではっきりと表現されている[60]。作中のニューヨークはバビロンになぞらえられ[67]コマーシャリズムや物質主義、科学へのフェティシズムポストモダンの風潮に染まった場所として描かれる。一連のビルボードや作中世界の有名人の動向など、広告やニュースが繰り返し登場する点は、ムーアの1980年代の重要作品『ウォッチメン』に通じる。

神話のプロメテウスの女性形である『プロメテア』というタイトルが暗示するように、本作はスーパーヒーローコミックの枠内でフェミニズムを扱っている。作中でもフェミニスト批評家エレーヌ・シクスーの小説「プロメテアの書」が引用されている[51][53]。詩人志望の主人公が言葉の力によって形のない文芸の女神を呼び起こす点や、非線形なナラティヴ英語版文学理論やオルタナティヴな哲学への言及に見られるように、ムーアの主題はエクリチュール・フェミニン英語版のカウンターカルチャー的な理論や政治と軌を一にしている[68]。フェミニズムと想像力のテーマはムーアの後の作品『ロスト・ガールズ英語版』でさらに掘り下げられている[53]

作画

本作のペンシル(原画)を担当したS・H・ウィリアムズ3世は、神秘学からの引用が多い抽象的な内容に合わせてスタイル上の実験を数多く行っている[41]。ウィリアムズはどんな題材でも夢の景色に似た詩情あふれる美しい絵にすることができ[40]、難解な神秘学の解説シーンでも読者を引き込む魅力を失わなかった[46][69]

作品のテーマの一つであるシンボリズムは絵のスタイルに反映されている[70]。ウィリアムズはもともと見開きの絵を得意としており、「見開きの大ゴマにさまざまなモチーフを複雑に配置した野心的な構図」が存分に活用された[40]。見開きいっぱいに描かれたメビウスの輪に沿って歩く主人公を追いかけながら読むシーンのように[33][71]、コマ割りやレイアウト自体に象徴的な意味を持たせる手法も特徴の一つである[72][73]。装飾的な枠線も多く用いられる[70][74]。タロットの象徴が解説される第12号は特に実験的な構成で、明確なコマの区切りがなく、24ページすべてをつなぎ合わせると一枚の巻物となるように描かれている[33]。絵と文は渾然一体となり、サイケデリック・ドラッグのように、一連の出来事がすべて同時に起きている感覚を作り出す[75]。作家スザンナ・クラークはこの号で語りと視覚情報が相乗効果を挙げていることを賞賛し、「アラン・ムーアのコミックが小説や映画などには及びもつかないことをやってのけられると見事に証明している」と述べた[56]

最終第32号は際立って野心的な構成となっている[33][76]。ストーリーどころか時系列に沿った記述もなく、魔術的象徴の解説が断片的な文章によって反復される。この号のページすべてをバラバラに切り離して正しくつなぎ合わせると、両面に大きなプロメテアの肖像が描かれたポスターとなるようにデザインされている[77][78]ふきだしはそれぞれのページを超えてハイパーテキスト風につなぎ合わされる[33]。単行本にはこのポスターが小判で綴じ込まれている[76]。この構成には、「直線的な時間の流れ」は人間の意識の産物でしかなく、すべての事象が同時に起こっているという視点が存在することを感得させる意図があると分析されている[76]

画風も号ごとに使い分けられ、ポップアートとハイアートを問わず古今の多くの画家がオマージュされている[69]。主人公が毎号一つずつ「生命の樹」のセフィラを巡っていくストーリーでは、その号のセフィラが象徴するものに合わせたカラーパレットが用いられている[46]。たとえば感情を象徴する「ネツァク」のセフィラは[79]ピーター・マックス風の太い線で「緑の海」として描かれ[33]、愛と悲嘆に飲み込まれた主人公のやるせなさを表現している[80]。別シリーズの主人公トム・ストロングがゲスト出演する号では、そのミニマルなキャラクターデザインがウィリアムズ本来の細密な画風と違和感なく組み合わされた[49]

通常のシーンはウィリアムズのペンシル(原画)とミック・グレイのインクペン入れ)で描かれるが、現実が〈想像界〉に浸食されていくシーンでは輪郭線のない柔らかなペインテッド・アートが用いられた。これには、クリアカットで類型化されていたコミック内の現実が、より曖昧模糊とした「リアル」な世界に取って代わられたことを表現する意図があると見られる[81]


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