フランク・シールズ フランク・シールズの概要

フランク・シールズ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/10 14:39 UTC 版)

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フランク・シールズ
Frank Shields
フランク・シールズ
基本情報
フルネーム Francis Xavier Shields
愛称 フランク
国籍 アメリカ合衆国
出身地 同・ニューヨーク
生年月日 (1909-11-18) 1909年11月18日
没年月日 (1975-08-19) 1975年8月19日(65歳没)
利き手
バックハンド 片手打ち
殿堂入り 1964年
4大大会最高成績・シングルス
全仏 4回戦(1933)
全英 準優勝(1931)
全米 準優勝(1930)
4大大会最高成績・ダブルス
全英 ベスト4(1931)
全米 準優勝(1933)
4大大会最高成績・混合ダブルス
全米 準優勝(1930)

来歴

シールズは1926年から全米選手権に出場し始め、2年後の1928年に同選手権の準決勝でアンリ・コシェと対戦した。1930年全米選手権で、彼は最初の4大大会男子シングルス決勝に進出する。対戦相手のジョン・ドエグは、左利きの荒々しい強力サービスを武器にする選手だった。第3セット終了時点でドエグにセットカウント 1-2 (ゲームカウント:シールズから見て 8-10, 6-1, 4-6)とリードされた後、第4セットでシールズがゲームカウント 14-13 でセット・ポイント(このポイントを決めれば、1セットを取れる)をつかんだ。ここからドエグがサービスで逆転し、シールズは第4セットを 14-16 で落とした。これでドエグの優勝が決まり、シールズは1930年の全米男子シングルス準優勝者になった。翌1931年ウィンブルドン選手権で、シールズはジャン・ボロトラとの準決勝の途中で芝生に足を滑らせ、足首を痛めてしまった。ボロトラには 7-5, 3-6, 6-4, 6-4 で勝ち、ウィンブルドン決勝進出を決めたが、足首のけがのためシドニー・ウッドとの決勝戦に出場できなくなった。ウィンブルドン男子決勝が「不戦勝」の結末になったのは、後にも先にも1931年の1度だけである。

ウィンブルドンのアクシデントから2年後、シールズは1933年全米選手権でシングルスのベスト4に入り、男子ダブルス準優勝を記録した。3年ぶり3度目のシングルス準決勝ではジャック・クロフォードに敗れたが、その過程の4回戦でシールズは日本布井良助を 7-5, 6-2, 6-3 で破った。シールズが日本人男子選手と対戦したのは、布井を下した1933年全米選手権4回戦の1度だけである。男子ダブルスで、シールズは当時17歳のフランク・パーカーとペアを組んで初の決勝に進んだが、ジョージ・ロット&レスター・ストーフェン組に 13-11, 7-9, 7-9, 3-6 で敗れた。結局、シールズは4大大会で男子シングルス2度・男子ダブルス1度の準優勝に終わった。彼は男子テニス国別対抗戦・デビスカップでも、1931年1932年1934年の3度アメリカ代表選手として出場した。

1935年全米選手権の準々決勝でフレッド・ペリーに敗退した後、シールズは一時的にテニス界を離れ、ハリウッドの映画俳優に転向した。インターネット・ムービー・データベース(IMDb)の資料によれば、シールズは1935年から1938年までの間に、通算7作の映画に出演した。彼の俳優経歴はこの3年間で終わっており、1938年からは再びテニス選手に戻って、全米選手権に復帰する。13年後の1951年、シールズは1年間デビスカップのアメリカ代表監督を務めた。シールズが監督を務めた年、米国チームは「アメリカン・ゾーン」の1回戦で日本チームと対戦した。日本はこの年から終戦後のデビスカップに復帰を認められたが、熊谷一弥監督が率いた日本代表チームは、シールズ監督の率いる米国チームに5戦全敗で終わった。 1964年、シールズは国際テニス殿堂入りを果たした。

シールズは私生活で3度結婚し、すべて離婚に終わったが、その間に4人の子供をもうけた。国際テニス殿堂入りの翌年、1965年5月31日に生まれた孫娘のブルック・シールズが、早くから子役モデル・女優として活動を始める。祖父のフランクは、ブルックが10歳になった1975年8月19日に故郷のニューヨークで65歳の生涯を閉じた。

主な成績




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