パウル・シェフラー パウル・シェフラーの概要

パウル・シェフラー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/05/25 05:51 UTC 版)

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略歴

ドレスデンに生まれ、同地の音楽院ではピアノヴァイオリンを学んでいたが、後にベルカントを学ぶことを選び、オペラ歌手としての道を進むことになる。1924年にドレスデン歌劇場でワーグナーの『ローエングリン』を歌ってデビューし、1926年には同歌劇場で、フェルッチョ・ブゾーニの『ファウスト博士』、クルト・ヴァイルの『主役』、パウル・ヒンデミットの『カルディリャック』なども歌っている。

1937年ウィーン国立歌劇場に初めて出演し、以後1965年の長きにわたって活躍する。またバイロイト音楽祭ザルツブルク音楽祭にも出演し、両音楽祭では常連として出演することになり、とりわけワーグナーとモーツァルトがよく知られていた。またハンブルク、およびミュンヘンでは、ゴットフリート・フォン・アイネムの『ダントンの死』やリヒャルト・シュトラウスの『ダナエの愛』のタイトル・ロールを歌っている。

シェフラーは膨大なレパートリーを持ち、フィガロドン・ジョヴァンニピサロオランダ人ハンス・ザックスアンフォルタスヴォータン、クルヴェナル、ヨカナーンイアーゴスカルピアなどを持ち役としていた。

ドイツ、オーストリア以外でも国際的に活躍し、ロンドンサンフランシスコニューヨークシカゴブダペストパリミラノナポリブエノスアイレスなどにも招かれている。

70歳になってからも現役として活躍し、引退する直前に歌った最後のオペラはモーツァルトの『イドメネオ』だった。

1977年11月22日、イギリスのアマースハムで死去。80歳。




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