ハビアー・バスケス ハビアー・バスケスの概要

ハビアー・バスケス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/05 17:11 UTC 版)

ハビアー・バスケス
Javier Vázquez
ブレーブス時代
基本情報
国籍 アメリカ合衆国
出身地 プエルトリコ自治連邦区ポンセ
生年月日 (1976-07-25) 1976年7月25日(46歳)
身長
体重
6' 2" =約188 cm
210 lb =約95.3 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
プロ入り 1994年 MLBドラフト5巡目
初出場 1998年4月3日
最終出場 2011年9月27日
年俸 $5,000,000(2011年)[1]
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
国際大会
代表チーム プエルトリコ
WBC 2006年2009年

経歴

エクスポズ時代

1994年ドラフト5巡目でモントリオール・エクスポズへ入団。1998年4月3日にメジャーデビューを果たした。同年は5勝15敗と負け越した。1999年は6月に2勝4敗・防御率6.63の成績でAAA級のオタワヘ降格[2]。オタワではカーブスライダーの磨きをかけ[3]、メジャー復帰後は7勝4敗・防御率4.05を記録。2000年はリーグ6位となる196奪三振を記録。奪三振増加の原因をバスケス本人は、コントロールに自身が持てるようになったこととしている[3]

2001年オールスターまでの成績が7勝9敗、防御率4.93だったが、それ以後の成績は9勝2敗、防御率1.60で8月には月間MVPを受賞している。しかし、9月17日のマーリンズ戦で、ライアン・デンプスターからの死球により眼窩を骨折し、シーズンを終えた[4]。しかし、自己最多の16勝、リーグ最多の3完封を記録した。2002年は10勝13敗とデビュー年以来となる負け越しとなった。

2003年に自己最高となる防御率3.24、241三振をマークした。241三振はペドロ・マルティネス(1997年、305三振)、ビル・ストーンマン(1971年、251奪三振)に次ぐ球団史上3位だった[5]。シーズン終了後にニック・ジョンソンフアン・リベラらとのトレードでニューヨーク・ヤンキースへ移籍し、その後4年4500万ドルの契約を結んだ[6]

ヤンキース時代

2004年、ヤンキースでシーズン通してコンスタントに登板できたのは、バスケスだけであった。しかし、5年ぶりに200投球回を下回り、防御率は5点台に近い4.91で、好不調の差が激しかった。リーグチャンピオンシップシリーズでも第7戦で2番手で登板するもKO、チームも3勝0敗から4連敗という逆転負けを喫した。

ダイヤモンドバックス時代

2005年1月11日、ランディ・ジョンソンとのトレードでディオナー・ナバーロとブラッド・ハルシー、900万ドルと共にアリゾナ・ダイヤモンドバックスへ移籍[7][8]。2年ぶりのナ・リーグ復帰となった。このシーズンは開幕投手を務め、ブランドン・ウェブに次ぐチーム2位の11勝を記録した。若い選手が張り切っていてやりがいがあると発言していたが、シーズン終了後トレードを志願[9]。バスケスが長い遠征の際に家族はプエルトリコに帰って行った。エクスポズ・ヤンキース時代は容易だったが、アリゾナはプエルトリコの飛行機の便が悪く移動に丸1日かかるため、2歳と1歳の子供には厳しいからだという[9]。そして、12月20日にオーランド・ヘルナンデスルイス・ビスカイーノクリス・ヤングらとの1対3のトレードでシカゴ・ホワイトソックスへ移籍[8]

ホワイトソックス時代

ホワイトソックス時代

2006年シーズン前にワールド・ベースボール・クラシックプエルトリコ代表に選出された。2次リーグのドミニカ共和国戦において5回1失点の好投で1勝を挙げる。レギュラーシーズンは8月10日の時点で11勝6敗だったが、これ以降1勝もできず6連敗でシーズンを終えたが、オールスター以降の後半戦、ヨハン・サンタナに次ぐリーグ2位の98個奪三振を挙げ、9月以降に57奪三振を記録した[10]

2007年、開幕前の3月に翌年からの3年総額3450万ドルで契約延長した[11]。32先発すべての登板で5イニング以上投げるという抜群の安定感を披露。エクスポス時代の2001年以来となる15勝、同じく2003年以来となる200奪三振以上となる213奪三振をマーク。マーク・バーリージョン・ガーランドと共に、シーズン通して不振に陥ったチームを支えた。

ホワイトソックス退団後

2010年

2008年12月4日に、ブーン・ローガンと共に、タイラー・フラワーズブレント・リリブリッジ、ジョン・ギルモア、サントス・ロドリゲスらとの交換でアトランタ・ブレーブスに移籍。

2009年は自己最高となる防御率2.87(リーグ6位)の成績を残した。12月23日、メルキー・カブレラ、マイケル・ダン、アローディス・ビスカイーノとの交換トレードでブーン・ローガンと共にニューヨーク・ヤンキースに移籍。6年ぶりの復帰となった。

2010年、6年前と同様に好不調の差が激しく、投球回も200イニングを下回ったり、先発から外され救援に回ったりした。ポストシーズンからのロースターからも外れた。12月2日にフロリダ・マーリンズと1年700万ドルで契約する。

2011年、8月30日に通算2500奪三振を達成。後半戦は29イニング連続無失点を記録する好調で、9月には月間MVPを受賞した。

2012年はどこのチームにも所属せず、母国プエルトリコ・ウィンターリーグのポンセ・ライオンズでプレー。

2013年第3回WBCプエルトリコ代表に招集されていたが、右膝の故障により辞退。

2014年4月にMLB選手会の国際部門スペシャルアシスタントに就任。

国際大会での活躍

第1回大会で1勝、第2回大会で2勝を挙げ、第2回WBC終了時点での通算成績で、松坂大輔の6勝に次ぐ歴代単独2位の3勝(0敗)を記録している。2大会連続で勝ち星を記録しているのは、第2回WBC終了時点で松坂とバスケスの二人だけである。


  1. ^ Javier Vazquez Stats, News, Pictures, Bio, Videos” (英語). ESPN.com. 2012年1月12日閲覧。
  2. ^ Wagner, John (1999年6月8日). “Mud Hens lose 2 to retirement, game to Ottawa” (英語). The Blade: p. 34. https://news.google.co.jp/newspapers?id=CjExAAAAIBAJ&sjid=ogMEAAAAIBAJ&pg=1477,2714209&dq=javier-vazquez+ottawa&hl=en 2010年3月3日閲覧。 
  3. ^ a b 「JAVIER VAZQUEZ ハビアー・バスケス [エクスポズ]」『月刊メジャー・リーグ11月号増刊 大リーグ・オールスター来日観戦ガイド』 ベースボールマガジン社、2000年、雑誌 08626-11、58頁。
  4. ^ Montreal (AP) (2001年9月19日). “Expos' Vazquez out for season” (英語). Kentucky New Era: p. B2. https://news.google.co.jp/newspapers?id=rOgrAAAAIBAJ&sjid=wQUGAAAAIBAJ&pg=6104,7896753&dq=javier-v%C3%A1zquez&hl=en 2010年3月3日閲覧。 
  5. ^ 2003 Career Highlights:Javier Vazquez” (英語). MLB.com. 2008年3月19日閲覧。
  6. ^ Javier Vazquez Chronology” (英語). BaseballLibrary.com. 2008年9月6日閲覧。
  7. ^ 「ランディ・ジョンソン[ヤンキース]/“41歳の若者”が挑む大舞台」『月刊メジャー・リーグ』2005年3月号、ベースボール・マガジン社2005年雑誌コード08625-3、8-9頁。
  8. ^ a b Javier Vazquez Transactions” (英語). Baseball-Reference.com. 2008年9月6日閲覧。
  9. ^ a b 「各球団マンスリー・リポート」『月刊メジャー・リーグ』2006年1月号、ベースボールマガジン社、2006年雑誌 08625-1、50頁。
  10. ^ 2006 Career Highlights” (英語). MLB.com. 2008年9月6日閲覧。
  11. ^ Stark, Jayson (2007年3月8日). “Vazquez, White Sox agree to $34.5M extenstion” (英語). ESPN.com. 2010年3月3日閲覧。


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固有名詞の分類

ニューヨーク・ヤンキースの選手 ジェフ・ウィーバー  ダニエル・リオス  ハビアー・バスケス  ウィリー・ランドルフ  ダマソ・マーテ
アトランタ・ブレーブスの選手 ロジャース・ホーンスビー  ラス・オルティス  ハビアー・バスケス  ジェフ・リッジウェイ  ドウェイン・ヘンリー
シカゴ・ホワイトソックスの選手 ジェイソン・グリーリ  ジョー・クリーディ  ハビアー・バスケス  マーク・バーリー  ダリン・アースタッド
ワシントン・ナショナルズ及びモントリオール・エクスポズの選手 タイラー・クリッパード  アーキー・シアンフロッコ  ハビアー・バスケス  ヘクター・カラスコ  シャイロン・マルティス
アリゾナ・ダイヤモンドバックスの選手 チャド・トレーシー  ラス・オルティス  ハビアー・バスケス  ボブ・ウォルコット  ジェフ・スーパン
プエルトリコの野球選手 バンボ・リベラ  ペドロ・バルデス  ハビアー・バスケス  ジョシュ・マトス  サンディー・アロマー・ジュニア

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