ナイマンとは? わかりやすく解説

ナイマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/05 01:29 UTC 版)

ナイマンモンゴル語: Найман、Naiman)は、モンゴル帝国成立以前の時代にモンゴル高原西北部のイルティシュ川低地地域から上流地域、アルタイ山脈に掛けて割拠していたテュルク系遊牧民で、後にモンゴル化した部族集団。漢字表記は『元史』『元朝秘史』では乃蛮。『集史』などのペルシア語表記では نايمان Nāyimān として現れる。西はジュンガル盆地の沙漠地域を挟んで天山ウイグル王国と隣接し、北は小アルタイ山脈をもってケムケムジュート地方およびキルギズと、東ではカラコルム山脈をもってケレイトと隣接していた[1]


  1. ^ 佐口透 1989、p8
  2. ^ 村上正二 1972、p38
  3. ^ 例えば、『元史』巻1 太祖本紀「初、汪罕之父忽兒札胡思盃禄既卒、汪罕嗣位、多殺戮昆弟。其叔父菊兒〔罕〕帥兵與汪罕戦、逼於哈剌温隘敗之、僅以百餘騎脱走、奔于烈祖。烈祖親将兵逐菊兒〔罕〕走西夏、復奪部衆歸汪罕。汪罕徳之、遂相與盟、稱為按答。按答、華言交物之友也。 烈祖崩、汪罕之弟也力可哈剌、怨汪罕多殺之故、復叛歸乃蛮部。乃蛮部長亦難赤為發兵伐汪罕、盡奪其部衆與之。汪罕走河西、回鶻、回回三国、奔契丹。既而復叛歸、中道糧絶、捋羊乳為飲、刺橐駝血為食、困乏之甚。帝以其與烈祖交好、遣近侍往招之。帝親迎撫労、安置軍中振給之。遂會于土兀剌河上、尊汪罕為父。」
  4. ^ 佐口 1968,p44-45
  5. ^ 佐口 1968,p49-50
  6. ^ 佐口 1968,p56-78
  7. ^ 佐口 1968,p142
  8. ^ 佐口 1968,p142-146
  9. ^ 佐口 1968,p147-149
  10. ^ 佐口 1968,p149
  11. ^ 佐口透 1989、p51
  12. ^ 第二類「現在はモンゴルと呼ばれているが、以前はそれぞれ別の名を持ち、独立した首長を持っていたテュルク部族」で、ジャライルスニトタタルメルキトオイラトバルグトテレングト,森のウリヤンカトなどである。
  13. ^ 第四類「久しい前から通称はモンゴルであったテュルク部族、これから出た多くの部族」で、ウリヤンカトコンギラトタイチウト,チノス,マングトバアリンなどである。
  14. ^ 宮脇淳子 2002、p138
  15. ^ 村上正二 1970、p319
  16. ^ Pelliot et Hambis,p.p.215-218,297-314
  17. ^ 村上正二 1970、p320


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