ナイマンの分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/21 08:02 UTC 版)
イナンチュ・ビルゲ・ブク・カンの死後、その2子であるタイ・ブカとブイルクは父の一愛妾を手に入れようとして不和となり、2つの勢力に分かれた。ブイルクは自分とつながりの深い数部族を従えてアルタイ山脈に近いキジル・バシュの山地へ退き、兄のタイ・ブカは父の帳殿と平原地方を保持した。 1199年、両兄弟の争いが続いたため、モンゴルのテムジンとケレイトのオン・カンがそれに乗じてブイルクを攻め、多くの部民と家畜を略奪した。ブイルクはキルギスに附属するケムケムジュート地方へ避難した。その後、ナイマンの将サブラクがケレイトに対して善戦をしたが、すぐにモンゴルの援軍が入ったため、ナイマン軍は敗北した。
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