デノン
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玉音放送
1945年(昭和20年)8月15日正午(日本標準時)に、NHKラジオで終戦を伝えた昭和天皇の肉声は、DENON製の機器でアセテート盤に録音されたものである[13](玉音放送#録音と放送)。
CMキャラクター
- 麗美(DENONカセットテープ「DX3」・1985年制作)
- 笑福亭鶴瓶(DENONカセットテープ「NEW DX3」・1986年制作)
- 島田奈美(ミニコンポ「コンセプト」・1986年制作)
- 後藤久美子(ミニコンポ「コンセプト」・1987年制作)
- 国実百合(DENONカセットテープ・1988年制作)
- アブドーラ・ザ・ブッチャー(DENONカセットテープ「HG・デンオンで天国に行こう」篇・1989年制作)
提供番組
関連項目
参考サイト
外部リンク
- ^ a b c d e f “DENON Museum - DENON BRAND History”. 株式会社ディーアンドエムホールディングス. 2020年5月31日閲覧。
- ^ “DENON Museum - Model History - DENONカートリッジのルーツ(DENONの誕生)”. 株式会社ディーアンドエムホールディングス. 2020年5月31日閲覧。
- ^ 日立と業務提携する1969年までは東芝とは一部の製品のOEM供給を受けて販売したり、真空管などの電子部品の供給を受けるなどの関係があった。
- ^ 日立にも「MQ-25」として1984年頃までOEM供給が行われた
- ^ スケルトンモデル、およびコーネリアス[要曖昧さ回避]やピチカート・ファイヴ、ハローキティとのコラボモデルやDJプレイ用ポータブルミキサー「GMX-3」(1997年7月発売)など。
- ^ オリジナルの金型はデノンにも残っていないため、3Dスキャナーなどを駆使してオリジナルの現物から採寸した上で新たに金型を起こしている。
- ^ 2022年8月に永井博コラボモデル、同年12月にはターコイズブルー仕様と言った派生モデルをそれぞれHMVでの限定発売を行なった。
- ^ この時代はレーベルとしての呼称を「デノン」として音響機器との差別化を図っていた(GARO ガロ/コンプリート・ディスコグラフィー:シングル(初版)の「盤レーベル」と「内袋」について)
- ^ 昭和の名ディレクターに聞く歌謡ポップス裏話 深夜番組のリクエストからヒット「白い色は恋人の色」[リンク切れ] - Amebaニュース、2015年7月31日。当時DENONレーベルに関わっていた日本コロムビアの元ディレクター、飯塚恆雄へのインタビュー。
- ^ 「CD-」の規格番号でも『起きなよスージー/テディ・ボーイ』(レモンドッグ、CD-212、1974年)のようにコロムビアレーベルでの発売となったものがあった。
- ^ エレックレコードの倒産に伴い1976年から日本コロムビアに移籍したナイアガラ・レーベルも「LK-」の規格番号を使用していた。
- ^ DENON Museum 1975
- ^ フジヤエービック公式サイト - メーカーごとのアンプの特徴について[リンク切れ]
固有名詞の分類
- デノンのページへのリンク