タイムシェアリングシステム 日本におけるタイムシェアリングシステム

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タイムシェアリングシステム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/09 08:58 UTC 版)

日本におけるタイムシェアリングシステム

1960年代後半、アメリカ合衆国でのProject MACや商用TSSの登場を受けて、日本でもいくつかの研究機関がTSSの開発に取りかかった。1968年には電気試験所のETSSや慶應義塾大学のKEIO-TOSBAC-TSSが研究用として完成し、大阪大学では阪大MACとしてTSSサービスが開始された。やがて、IBMのTSO (Time Sharing Option) や日本電気のTSS/AF (TSS-Advanced Function)、富士通のTSS-AIF (TSS-Advanced Interactive processing Facility) のように、メインフレーム用オペレーティングシステムのインタフェース機能に関わるオプションとして提供された。

このような動きがあった一方、日本ではアメリカ合衆国に比べて計算需要に対するコンピュータの設置台数が少なかったことから、黎明期にはオーバーヘッドが発生するTSSはそこまで受け入れられないだろうという意見もあった[3]

商用TSSについては、日本では当時の有線電気通信法および公衆電気通信法の規定から公衆交換電話網をデータ通信に使用できなかったため、普及の見通しが立っていなかった。1967年11月の通商産業省情報産業部会設置と1968年1月の日本生産性本部MIS使節団による提言から端を発した通信自由化の動きは、日本電信電話公社(電電公社)によるデータ通信サービスの実施と民間企業による公衆交換電話網のデータ通信利用を認める結果になった[4]。1971年3月、電電公社が商用TSSとして科学技術計算サービス「DEMOS」の提供を開始。1971年10月には電通が日本の民間企業で初めての商用TSS「電通TSS」を発表。1972年1月には日本IBMが商用TSSの試験運用を開始した。

しかし、1970年代からコンピュータの製造に利用され始めた集積回路によってハードウェアの価格は急激に下がり、オフィスコンピュータやパーソナルコンピュータといった個人が独占的に使用できる小型コンピュータが登場。グロッシュの法則が成り立たなくなったため、商用TSSは単なるCPU時間の提供だけでなく、数値解析などのソフトウェアや経済分野のデータベースなどを充実させて普及を試みた[5]。1980年代に通信網を活用したサービスに重点を置いた付加価値通信網 (VAN) がブームになると、商用TSSの時代は終わりを迎えた。

日立・東大

東京大学大型計算機センターHITAC 5020を納入した日立において、同機のモニタを開発した高橋延匡らは、Multicsの発表[6]に、特に2次元番地付け方式の仮想記憶に刺激を受け、これを実現したTSSの開発を構想した。中研の上司村田健郎、中沢喜三郎、嶋田正三らのリーダーシップにより、ただちに着手する必要があると判断され、1966年4月にプロジェクト研究が発足した[7]

今日で言うところのヒューマンマシンインタフェースの難しさと重要性に鑑み、プロジェクト発足当初より東京大学高橋秀俊研究室と交流し、1966年9月より正式に共同研究を開始した。

プロジェクトの24ヵ月で第一バージョンを完成し、1968年3月末、2次元番地付け方式のTSSとしては世界初の稼動となった。また、高水準言語PL/IのサブセットPL/IW)によるOSの記述にも成功している。

また、高橋秀俊の示した8箇条[8]は、OS構築に際して対話処理の問題の扱いにおいて、大いに参考となった、としている。

富士通

FONTAC用のモニタとして、FONTAC MONITOR、MONITOR IIからIVを1965年から1968年にかけて完成。ダイナミックリロケーション、多重処理、リアルタイム処理を実現した。その後、FACOM 230-60用のOS、MONITOR Vを開発。1968年12月にバッチ機能、1970年12月にTSS機能を完成した[9][10]。この成果は電電公社が1970年9月にサービスを開始した販売在庫管理サービス「DRESS」のシステムで活用された。

日電・電電・阪大

MITでTSSの研究がはじまった頃、同所にて日本からは日本電気 (NEC) や日本電信電話公社(後のNTT先端研究所、NTTデータではない)のエンジニアや大阪大学からの留学生が中心となって、ジョン・マッカーシーの元で研究を行っていた。これらの研究者・エンジニアが帰国後、NECの水野幸男などを中心に開発が進み、IBMとリックライダーの発表後、3年程(1968年)に阪大MAC(TSS)としてNECの汎用機NEAC上で実装された。

電気試験所(電総研)

1960年代なかば、通産省の「大型工業技術研究開発制度」(通称大プロ)によるプロジェクトのひとつとして、電気試験所では「超高性能電子計算機」というプロジェクトがあった。日立、富士通、日本電気といったメーカーによるハードウェア中心のプロジェクトで、渕一博は電気試験所としてソフトウェアに取りかかるべくTSSの開発を提案した[11]

ETSSというこのTSSは、1966年10月にプロジェクト・チームを結成している。1968年5月には、1日4時間週5日の運用実験を開始し遠隔端末から使用できた。しかし、このプロジェクトは実用化に向けた改良を重ねる段階までには結びつかず、1970年には別のプロジェクトに移行した[12]


  1. ^ Donovan, John J. (1972). Systems Programming. p. 9. ISBN 0-07-085175-1 
  2. ^ 日本では期待されたほどではなかった、とされることがあり、「日本を風びしなかったTSS」という雑誌記事がある。
  3. ^ 野田, 克彦「TSS総論」『Business communication』第6巻第3号、1969年、22-26頁。 
  4. ^ 「V 通信回線開放までの足どり」『コンピュートピア』第5巻第56号、1971年、184-191頁。 
  5. ^ 編集部「タイムシェアリング・サービスの展望」『Business communication』第18巻第10号、1981年、65-68頁。 
  6. ^ 1965年の秋にあった、1965 Fall Joint Computer Conference のようである。
  7. ^ 高橋, 延匡、土居, 範久、益田, 隆司「第4章§4」『オペレーティング・システムの機能と構成』岩波書店、1984年。ISBN 9784000101660 
  8. ^ 和田, 英一 (1999年6月19日). “Know Thyself”. www.iijlab.net. 2023年10月29日閲覧。
  9. ^ MONITOR II-コンピュータ博物館”. museum.ipsj.or.jp. 2023年2月23日閲覧。
  10. ^ MONITOR V-コンピュータ博物館”. museum.ipsj.or.jp. 2023年2月23日閲覧。
  11. ^ 田中, 穂積、黒川, 利明、太田, 耕三、古川, 康一、岡田, 久雄『渕一博 その人とコンピュータサイエンス』近代科学社、2010年、14-16頁。ISBN 4764903652 
  12. ^ 臼井, 健治「人物登場 人工知能の研究にむけて--淵一博氏」『コンピュートピア』第15巻第174号、1981年、107頁。 


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