サンディー 来歴・人物

サンディー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/08 09:06 UTC 版)

来歴・人物

アメリカ人日本人とのハーフ。10歳のときにハワイへ渡り、12歳の頃から歌手として活動[1]ホノルルカイルア・ハイスクールを卒業した[2]1974年には「サンディ・愛」名義でトニー荒木(トニーズのリーダーで荒木久美子の父)が作曲した「ペルシャ猫は恋泥棒」でレコード・デビューした。日本では1975年から本格的に活動し、「サンディー・アイ」名義で「くちづけは許して」で歌手デビューしたほか、NHKラジオ第1放送トーク番組若いこだま』のラジオパーソナリティを務めた。

23歳当時は身長163cmスリーサイズはバスト95cm、ウエスト58cm、ヒップ93cm[1]。そのスタイルの良さから、ステージやレコード・ジャケットでの肌の露出度も高く、ハイスクールの後輩であるアグネス・ラムより早くグラビアアイドルとしても活躍した。1976年「サンディー」名義の初シングル「グッドバイ・モーニング」で第7回世界歌謡祭のグランプリと最優秀歌唱賞を受賞。1978年、映画『ナイル殺人事件』の主題歌「ミステリー・ナイル」(「サンディー・オニール」名義)がヒットする。

1980年細野晴臣プロデュースで「サンディー」名義としては初となるアルバム『イーティン・プレジャー (Eating Pleasure)』を日本とイギリスでリリース。また同アルバムから『ラヴ・シック(cw/イーティン・プレジャー)をシングル・カットしてリリースした。

1980年代にはいると「久保田麻琴と夕焼け楽団」を母体にした「サンディー&ザ・サンセッツ」を1982年に結成[3]。当初のバンド名は「ザ・サンセッツ」であったが、オーストラリアの新聞に誤報道されたことから「サンディー&ザ・サンセッツ」と変更した。そして世界各国のツアー活動を開始し、オーストラリアでシングル『スティッキー・ミュージック』がヒットする。この頃から日本国内より海外での評価が高まってゆく。

1990年より再びソロ活動を開始し、アルバム『マーシー』をリリース。元々アジア色の濃い音楽性であったが、久保田とディック・リーとの共同プロデュースにより、このアルバムによってそのスタイルがより強固になってゆく。1994年リリースのアルバム『ドリーム・キャッチャー』は海外でも高く評価され、服部良一音楽祭優秀アルバム賞を受賞している。

1990年代中盤頃より、自身のルーツであるハワイ音楽に傾倒。『サンディーズ・ハワイ』などハワイアンを基調としたアルバムをセルフプロデュースで次々とリリースしている。クム・フラ(「フラの教師」の意)でもある。

変名を多用する人物で、先述の「サンディー・アイ」「サンディー・オニール」以外でも「サンドラ・ホーン[4]」名義で『ルパン三世』(第2期)のエンディング曲「ラヴ・スコール」を歌っている。それ以外には「久保田綾」など。海外では先述の「サンディ・愛」のほか「サンディー・鈴木」の芸名で活動する事もある。また、ゴダイゴなど他のミュージシャンのコーラスCMソング(ノークレジットであることが多い)などのセッション活動も多数ある。


  1. ^ a b 「たわわな果実 サンディー・アイ」『平凡パンチ』第12巻第43号、平凡出版、1975年9月29日、6頁。 
  2. ^ 宮原安春「現代の肖像 サンディー アジア・ポップスの扉をあけた」『AERA』1994年9月5日号
  3. ^ サンディー&ザ・サンセッツ”. 一般社団法人 日本音楽制作者連盟. 2022年8月18日閲覧。
  4. ^ 英語表記は、Sandra HornSandii-A-Horn)。
  5. ^ 「ワタシにも歌えちゃう ニュー民謡 ニュー演歌」『日経流通新聞』1991年8月29日付、28頁。
  6. ^ アストロミュージック出版 | 1975〜1979年作品


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