ゴルゴタの丘 所在地

ゴルゴタの丘

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/16 17:15 UTC 版)

所在地

ゴルゴタの所在位置については諸説ある。

聖墳墓教会

ゴルゴタに比定される採石場(イスラエル博物館内の第二神殿時代のエルサレムの模型の一部)

ゴルゴタを城内の聖墳墓教会の境内にあるとする説がある。132年から135年まで続いたバル・コクバの乱の後、ハドリアヌス帝によってエルサレムがアエリア・カピトリナとして再建された際にこの場所にウェヌス[注釈 2]を祀る神殿が建てられていたが、現地のキリスト教徒はその神殿の境内にはイエスが磔にされた場所と葬られた墓があると口伝で伝えた。326年にコンスタンティヌス帝の母ヘレナがアエリア(エルサレム)を訪れた時、神殿敷地でイエスの墓に比定される墳墓とその磔刑に使われた聖十字架聖釘などの聖遺物を発見し、そのきっかけでこの地に教会を建てたと言われている。

4世紀当時の聖墳墓教会(復元図)
平面図

発掘調査によって、この周辺は紀元前8世紀から紀元前1世紀まで石灰岩石切場として稼働していたことが明らかになった。1世紀に入ると廃坑となって、岩壁に数基の墓が掘られ、耕土が敷かれ畑地として利用されたと見られる。先述の通りユダヤの伝統では城内に死者を葬ることが禁じられていたため、墓地となったこの石切場は元々エルサレムの街の外にあり、後に城壁が拡大された影響で街の中に位置することになったと推測される[2][15][16][17]。この考古学的知見は、イエスが埋蔵された墓は城外の園にあるという『ヨハネによる福音書』の記述と一致する。

カルワリオの岩の一部

なお「カルワリオの岩」が現在の形に整えられた時期についてはいろんな説があり、現地が石切場であった時代、もしくはウェヌス神殿が建立された時、あるいは教会が建てられた時等が挙げられている。また、元々は近辺の墓に付属する慰霊塔(ネフェシュ)の跡とする考えもある[18]。いずれにせよ、岩の頂上はあまりにも狭く、その傾斜が険しすぎて簡単に登れないため、イエスと彼と共に処刑された2人の犯罪人の十字架がここに立てられたとするのは無理があると指摘されている。そのため、聖墳墓教会とその周辺をゴルゴタと認める学者の中でもイエスが十字架に磔にされた場所はこの「カルワリオの岩」の上ではなく別の所にあると主張する者もいる。考古学者のジョアン・E・テイラー(2011年)の説では、イエスの十字架が立てられた所は「カルワリオの岩」の南約200メートルの城門と街道に近い位置にあるとされる[2]。一方で、同じ考古学者のシモン・ギブソン(2009年)はイエスが岩のすぐ近く(岩から約20メートルの位置、聖墳墓教会内のバシリカ後陣に相当する)にて処刑されたとしている[19][20]

墓の園

園の墓近くのされこうべの丘
人の顔・髑髏に見える部分

エルサレム内城の北にある園の墓付近の「されこうべの丘[21](英語:Skull Hill)をゴルゴタとする説もある。

聖墳墓教会は城内にあることから、それをゴルゴタとする伝統を疑う説は16世紀から現れたが、提唱者はほとんどプロテスタントであった。「聖書地理学の父」といわれるエドワード・ロビンソンが自著『パレスチナにおける聖書研究』(原題:Biblical Researches in Palestine、1841年)において「聖墳墓教会内のゴルゴタと墓はわが主の十字架上の死と復活が起こった場所ではないという結論に至った」と断言し、本当の場所は西(ヤッファ)あるいは北(ダマスカス)へ向かう街道のどれかにあるという代案を提唱した[22]

北城壁から見るされこうべの丘一帯(1901年)

ロビンソンの研究に基づいて、ドイツの聖書学者オットー・テニウスは1842年にダマスカス門の近くに位置する「エレミヤの洞窟」と呼ばれる人工洞窟のある丘の一方が髑髏に見えるため、これこそがゴルゴタの丘であるという説を唱えた[23]。テニウスの説はイギリスのヘンリー・トリストラムクロード・コンダー[24]ジョサイア・コンドルの従兄弟)[25]らによって支持された結果、イギリスとアメリカのプロテスタント界隈において認識されるようになった。宗教史家のエルネスト・ルナン[23]、エルサレムに在住したドイツ出身の建築家・考古学者のコンラート・シックもこの説を受け入れた[26]

チャールズ・ゴードン

この説の支持者の中で最も知られているのは、軍人チャールズ・ゴードンである。1883年にエルサレムを訪れてコンダーとシックらの見解に触発されたゴードンは、独自の聖書の解釈を根拠に「されこうべの丘」はゴルゴタであるに違いないと確信して、更にその近くに発見された洞窟墳墓(今の園の墓)をイエスの墓に比定した[23][27]太平天国の乱マフディー戦争で活躍し国民的英雄となったゴードンの影響で「されこうべの丘」をゴルゴタとする説がより一層広まり、丘は「ゴードンのカルヴァリー」(英語:Gordon's Calvary)とも呼ばれるようになった。

なお、この丘をゴルゴタに比定する人の中でもゴードンがイエスの墓とした墳墓をそうであると認めない者もいた。クロード・コンダー自身はこの墓が1世紀の墳墓とあまりにも異なるため12世紀(十字軍時代)のものであると主張し、ゴードンを「パレスチナ考古学に精通していなかった」と批判した[25]。一方で1970年代に考古学者のガブリエル・バルカイによって行われた調査で、この墓は紀元前8・7世紀頃(初期鉄器時代)に作られ、5世紀~7世紀頃(ビザンツ帝国時代)に再利用され、更に十字軍時代にロバの小屋として使われたことが分かった[28]。いずれにせよ、4つの福音書では「誰もまだ葬られたことのない新しい墓」(ヨハネ19:41)と言われるイエスの墓に比定することは難しいと考えられる。これに対して園の墓を経営する団体・園の墓協会は「この場所が本当にイエスの死および復活の場所であったかどうかは分からないが、その出来事を想像する助けになることだろう」という旨の見解を述べている[21]

「されこうべの丘」の前には現在バス停がある。2015年に大雨の影響で髑髏の鼻の部分が崩れてしまった。

他説

オリーブ山

ゴルゴタをオリーブ山の麓にあるとする説も存在する。実際には新約外典とされる『ピラト行伝』(『ニコデモによる福音書』とも、4世紀以降成立)[29]ではゴルゴタがイエスが逮捕されたゲツセマネの園と同一視されている。近年では著者のアーネスト・L・マーティンや聖書学者のジェイムズ・テイバーがこの説を提唱したが[30][31]、支持者は極めて少ない。ほかには、エルサレムの南にあるヒノムの谷[32]に位置するという見解もある。

これらの説についてシモン・ギブソンは「これらの提案は、考古学にも歴史にも支持されていない」と述べている[33]

十字架群像(サン=ジャン=トロリモン

注釈

  1. ^ ただし「ヘブライ人」という語はオリゲネスの『マタイ福音書注解』を引用するギリシア語注解集(カテナ)のテキストに見られるもので、そのラテン語訳にはない[6]
  2. ^ ユピテルの神殿とする文献もある。

出典

  1. ^ Golgotha (2009). Zondervan All-in-One Bible Reference Guide. Zondervan Academic. p. 270.
  2. ^ a b c d e f g Joan Taylor (2010年1月11日). “Golgotha: A Reconsideration of the Evidence for the Sites of Jesus' Crucifixion and Burial”. Associates for Biblical Research. 2019年8月22日閲覧。
  3. ^ Luzac, Jean (1737). Institutiones ad fundamenta linguae Hebræae. p. 334.
  4. ^ “Golgotha”. Easton's Bible Dictionary. https://www.biblestudytools.com/dictionaries/eastons-bible-dictionary/golgotha.html 
  5. ^ a b “Mount Calvary”. カトリック百科事典. http://www.newadvent.org/cathen/03191a.htm 
  6. ^ a b c Taylor, Joan E. (1993). Christians and the Holy Places: The Myth of Jewish-Christian Origins. Clarendon Press. pp. 124-131.
  7. ^ オリゲネス「マタイ福音書注解」『ギリシア教父全集(Patrologia Graeca) 第13巻』ジャック・ポール・ミーニュ編、1845年、921頁。
  8. ^ Kadari, Adiel (2016). Interreligious Aspects in the Narrative of the Burial of Adam in Pirkei de-Rabbi Eliezer. In Houtman, Alberdina et al. Religious Stories in Transformation: Conflict, Revision and Reception. Brill. pp. 84-88.
  9. ^ a b Finegan, Jack (2014). The Archeology of the New Testament: The Life of Jesus and the Beginning of the Early Church. Princeton University Press. pp. 272-274.
  10. ^ ヒエロニムス「マタイ福音書注釈」『ラテン教父全集(Patrologia Latina) 第26巻』ジャック・ポール・ミーニュ編、1845年、209頁。
  11. ^ Cook, John Granger (2018). Crucifixion in the Mediterranean World. Mohr Siebeck. p. 109.
  12. ^ Hengel, Martin (1977). Crucifixion: In the Ancient World and the Folly of the Message of the Cross. Fortress Press. p. 50.
  13. ^ Charlesworth, James H. (2013). The Tomb of Jesus and His Family?: Exploring Ancient Jewish Tombs Near Jerusalem's Walls. Wm. B. Eerdmans Publishing. p. 529.
  14. ^ Taylor, Joan E. (1993). Christians and the Holy Places: The Myth of Jewish-Christian Origins. Clarendon Press. pp. 141.
  15. ^ Charlesworth, James H. (2006). Jesus and Archaeology. Wm. B. Eerdmans Publishing. pp. 577-579.
  16. ^ Golgotha and the Temple Mount”. ESV.org. 2019年8月24日閲覧。
  17. ^ Kristin Romey (2016年11月3日). “封印を解かれた「キリストの墓」の新事実”. ナショナル・ジオグラフィック. 2019年8月24日閲覧。
  18. ^ Bahat, Dan. "Does the Holy Sepulchre Church Mark the Burial of Jesus?" Biblical Archaeology Review 12:3 (1986): pp. 26-45.
  19. ^ Gibson, Shimon (2009). The Final Days of Jesus: The Archaeological Evidence. HarperOne. p. 120-122.
  20. ^ Adams, Stephen (2009年4月10日). “Way of the Cross is wrong, claims leading archaeologist”. The Telegraph. 2019年8月25日閲覧。
  21. ^ a b 園の墓へようこそ”. 園の墓公式ホームページ(英文). 2019年8月25日閲覧。
  22. ^ Robinson, Edward (1841). Biblical Researches in Palestine: Mount Sinai and Arabia Petraea. London: John Murray. pp. 71-81.
  23. ^ a b c Wilson, Charles W. (1906). Golgotha and The Holy Sepulchre. The Committee of the Palestine Exploration Fund. pp. 103-120.
  24. ^ Walker, Peter (2000). The Weekend that Changed the World: The Mystery of Jerusalem's Empty Tomb. Westminster John Knox Press. pp.113-114.
  25. ^ a b Conder, Claude (1909). The City of Jerusalem. London: John Murray. pp. 151-154.
  26. ^ Schaff, Philip (1878). Through Bible Lands: Notes of Travel in Egypt, the Desert, and Palestine. American Tract Society. pp. 268-269.
  27. ^ Frantzman, Seth J.; Kark, Ruth. "General Gordon, The Palestine Exploration Fund and the Origins of 'Gordon's Calvary' in the Holy Land." Palestine Exploration Quarterly, 140, 2 (2008). pp. 1-18.
  28. ^ Gabriel Barkay. "The Garden Tomb: Was Jesus Buried Here?" Biblical Archaeology Review 12:2 (March/April 1986): pp. 40-57.
  29. ^ Acts of Pilate”. Early Christian Writings. 2019年8月25日閲覧。
  30. ^ ジェイムズ・D・テイバー『イエスの王朝 一族の秘められた歴史』伏見威蕃・黒川由美 訳、ソフトバンククリエイティブ、2006年。
  31. ^ Tabor, James (2016年2月6日). “Locating Golgotha”. TaborBlog. 2019年8月25日閲覧。
  32. ^ Haupt, Paul. (1920). "Golgotha." Proceedings of the American Philosophical Society 59 (3): pp. 237-244.
  33. ^ Gibson, Shimon (2009). The Final Days of Jesus: The Archaeological Evidence. HarperOne. p. 128.


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