コーラ戦争 コーラ戦争の概要

コーラ戦争

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/11 00:46 UTC 版)

概要

コカ・コーラペプシコーラのアメリカ2大コーラ会社はコーラを中心に同じような清涼飲料水のラインナップをそろえ、世界各地で激しいマーケティング競争を繰り広げた。特に1980年代には競争は激しさを増し、ペプシのシェアがコカ・コーラを抜く事態となり、コカ・コーラは新たな商品開発に追われるなど苦戦を続けた。

各国ローカルの飲料会社が独自のコーラを発売し、アメリカの2大コーラ会社に対してナショナリズムに満ちたコーラ戦争を行う例もある。イギリスのヴァージン・コーラのように世界的に展開し2大コーラ会社に挑む例も見られる。

競合製品

風味/タイプ ペプシコ ザ コカ・コーラ カンパニー
コーラ ペプシ コカ・コーラ
ニュー・コーク
ダイエット / カロリー ダイエットペプシ / ペプシライト
ペプシワン
ペプシNEX
ダイエットコーク / コカ・コーラ ライト
タブクリア
コカ・コーラ ゼロ
炭水化物 ペプシエッジ(販売終了) コカ・コーラ C2(販売終了)
その他カラメル Dr Slice ミスター・ピブ
オレンジ トロピカーナ・ツイスター
Tango
Slice
ミリンダ
Kas
イェディギュン(トルコ)
ファンタ
ミニッツメイド
ロイヤル・トゥル(フィリピン)
ジュース トロピカーナ
ドール
Fruit Works(冷凍、缶入り)
ミニッツメイド
フルートピア (Fruitopia
アイスティー リプトン(飲料製品のみ)
ユニリーバが製造)
ネスティー (Nestea
(米国でネスレ、世界でビバレッジ・パートナーズ・ワールドワイドが製造)
アクアフィーナ (Aquafina
エトスウォーター (Ethos Water
ダザーニ (Dasani
Smart Water
ボナクア(香港、マカオ)
Kinley
シエル (Ciel
Eva
VIVA!(フィリピン)
Cumberland Gap Mountain Spring Water (カンバーランド渓谷限定)
Turkuaz、Damla(トルコ)
ショーフォンテーン(ベルギー)
マウント・フランクリン(オーストラリア)
パンプ(Pump、ニュージーランド)
Kropla Beskidu(ポーランド)
Vital(チリ)
Naturaqua(ハンガリー)
Namthip(タイ)
Bankia(Банкя、ブルガリア)
い・ろ・は・す(日本)
ジンジャーエール 該当なし Seagram'sジンジャーエール
カナダドライ
ルートビア Mug Root Beer バークス
サーシ (Sarsi(フィリピン)
ファンタ・ルートビア
スポーツドリンク ゲータレード
プロペル・フィットネスウォーター (Propel Fitness Water
パワーエイド
アクエリアス
Relentless
レモンライム Teem
Sierra Mist
セブンアップ(アメリカ以外)
スプライト
柑橘系(レモンライム以外) マウンテンデュー
マウンテンデューMDX
Kas
メローイエロー
ヴォールト
フレスカ (Fresca
サージ (Surge(販売終了)
Rondo
リフト
Sparkle(フィリピン)
バニラ味コーラ ペプシバニラ(販売終了) バニラ コカコーラ (Coca-Cola Vanilla
ライム味コーラ ペプシライム ライム コカコーラ (Coca-Cola with Lime
ダイエット コカ・コーラ ライム
レモン味コーラ ペプシツイスト (Pepsi Twist(販売終了) コカ・コーラ レモン (Coca-Cola with Lemon
機能水 SoBe Lifewater グラソービタミンウォーター (Glacéau

比較広告

コカ・コーラとペプシはロックスターを登場させた。米国での著名なソフトドリンク広告出演者は、キッスティナ・ターナーデヴィッド・ボウイロッド・スチュワートマイケル・ジャクソンマドンナレイ・チャールズ(以上ペプシ)およびホイットニー・ヒューストンポーラ・アブドゥルアル・ヤンコビックジョージ・マイケルエルトン・ジョン(コカ・コーラ)。

コカ・コーラ

コーラ戦争が過熱した例として、ニュー・コーク販売後に昔の「クラシック」コークに戻す計画を宣言した、1985年7月11日の戦略的撤退がある。

ペプシ

ペプシは有名人がコークよりもペプシを選ぶという、ペプシ支持のポジショニング手法「The Choice of a New Generation(新世代の選択)」宣伝を多く用いた。1975年に、ペプシはペプシチャレンジと呼ばれる、どちらが美味しいかの目隠し飲み比べを開始し、ペプシの販売を促進する街の声を拡大させた。

1990年代後半に、ペプシは長期間の継続的コーラ戦争戦略、ペプシスタッフを開始した。「Drink Pepsi, Get Stuff(ペプシを飲んで商品を貰おう)」の宣伝で、消費者は膨大な数のビン、缶やカップに付いているペプシポイントを集めた。ポイントはペプシの生活用品に交換できる。この手法は消費者の共感を得られるよう2年間の調査と試験販売を経て開始され、ペプシスタッフは即時に成功をおさめた。数千万人の消費者が参加した。ペプシは、コークの地元で開催され、コークが主要スポンサーだった1996年アトランタオリンピックの期間に、コークの販売を上回った。成功を受けて、この手法はマウンテンデューにも適用され、ペプシの世界市場に拡大した。この手法は、毎年新しい景品を投入しつつ何年も継続した。

ペプシスタッフの宣伝は訴訟(レナード対ペプシコ事件)の対象となった。多くの広告の中に、ペプシはハリアーのコクピットにいる若者の姿にテロップで「ハリアー:7百万ペプシポイント」と示した。ペプシスタッフの注文額を満たすために追加ペプシポイントを購入する仕組みがあった。ワシントン州シアトルのジョン・レナードは、ペプシスタッフに最大ポイントの要求と70万ドルの小切手を送り必要な追加ポイントを注文した。ペプシはこの要求を受け入れず、レナードは訴訟を起こした。判決は、広告を見た合理的な人間は実際にはペプシはハリアーを提供はしないと判断するだろうというものであった。ペプシは訴訟に応じてハリアーのコマーシャルの下に「ただの冗談」の文字を加え、「価格」を7億ペプシポイントに変更した[1]

コカ・コーラとペプシは、2005年にペプシスタッフが再開し「Coke Rewards」が応じるという「サイバー戦争」に至った。このコーラ戦争は、ペプシスタッフがサービスを終了し、Coke Rewardsがウェブサイトで商品提供を続けるという結果で終結している。両者ともにボトルキャップと12本または24本入り箱の蓋を集め、特定ポイント数のオンラインコードを入力すると、賞品や商品を消費者が貰えるというロイヤリティ手法である。ペプシのオンライン提携先のAmazonでは、「ペプシポイント」でmp3ダウンロードのような様々な商品購入ができた。コカ・コーラとペプシの両者ともにiTunes Storeと提携していた。


  1. ^ ペプシの「戦闘機が当たる」というCMを真に受けて7000万円以上費やした結果とは?”. GIGAZINE (2021年8月17日). 2024年5月11日閲覧。
  2. ^ http://www.collectspace.com/ubb/Forum14/HTML/000692.html
  3. ^ Magazine, Smithsonian. “In the Age of Spaceplanes” (英語). Smithsonian Magazine. 2023年4月4日閲覧。
  4. ^ STS-63 Press Kit”. National Aeronautics and Space Administration. 2010年11月23日閲覧。
  5. ^ http://www.collectspace.com/collection/artifacts_sts_sts63coke.html
  6. ^ STS-77 Press Kit”. National Aeronautics and Space Administration. 2010年11月23日閲覧。


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