オナニー 呼称

オナニー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/02 10:19 UTC 版)

呼称

日本の中世では「せつり」といったが、また『宇治拾遺物語』に「かはつるみ」とあり、この「かはつるみ」は「皮とつるむ(接交する)」の謂とされる[1]。更に平安時代初めの編纂と見られる「神楽歌」には「肱挙(かひなげ)」という語彙もある。

近世以来、男性のオナニーを「せんずり」とも「へんずり」ともいい、江戸時代川柳に「千摺りは隅田の川の渡し銛 竿を握いて川をアチコチ[注釈 1]」とある。

日本では男女のオナニーは「手淫」、「自涜」とも言い、手淫は幕末[注釈 2]、自涜は明治初期に考案された呼称である。「自涜」は、自らを穢すという意であり、「手淫」にもオナニーを忌むべきものとする考えが背景にある。また、「セルフプレジャー」は猥褻でない保健用語として使用が奨励されているが、普及は進んでいない。

若者を中心にスラングとして「シコる」「ヤる」「抜く」「オナる」「ひとりエッチ」[注釈 3]「マス(を)掻く」「致す」「イく」などと表現する場合もある[3]

また、「マスターベーション」(英語: masturbation)という言葉が用いられる場合もある。

語源

オナニーをする男性

オナニー (: Onanie) の語源は、『旧約聖書』「創世記」中の記述に由来する。

「創世記」38章にオナンという名の男が登場する。彼は兄エルが早死にしたため、その代わりに子孫を残すべく兄嫁タマルと結婚させられた(逆縁結婚)。しかしオナンは兄のために子を残すことを嫌い、性交時は精液の中に放出せず、寸前で陰茎を抜き精液を地に漏らして避妊をしようとした[4]。しかしこの行為は神の意志に反するものとされ、オナンは神によって命を絶たれた[5]。オナンがおこなったのは膣外射精であるが、語義が転じて生殖を目的としない射精行為としてオナニーという言葉が使われるようになった。これは自慰それ自体が罪だとされたのではないという見方もある[6]

歴史

非道徳性

西洋ではオナニーが聖書の説くところのにあたるか、道徳的に許されるかなどが古来より議論の的となってきた。

『旧約聖書』の神は「生めよ増やせよ地に満てよ」と人間に命じている。語源となるオナンの行為は神の意図に逆らう宗教的な反逆である。ユダヤ教キリスト教では、性交は生殖のために神から命ぜられた行為であると位置づけられているため、生殖を目的としない行為であるオナニーは売春などと同様に神の命令に背く行為とされ[7]非道徳的であり、罪にあたるとする伝統もあった。オナニーの法的規制の例としては、厳格なピューリタンによってひらかれた植民地時代のアメリカ合衆国コネチカット州ニューヘイブンにおいて1640年代の法典では「冒涜者同性愛者、自慰者への最高刑は死刑」と規定されている [8]

ただしオナンの罪とは、正確には生殖を目的としない射精行為でも、無駄に精液を地に漏らしたことでもなく、古代社会のレビレート婚の掟を破り、兄の未亡人に子供を与えねばならぬ義務を果たさなかったことであると前述したように、時代の風潮にあわせてオナンの罪は、微妙に変化してきた。西洋の反オナニー言説を「宗教の産物」と直結することはできない。モッセによると、18世紀以降の反オナニー言説はナショナリズムの産物である。日本でも反オナニー言説は、少なくとも江戸期からあり、明治期には広く流布している(#日本における歴史の項参照)。

西洋における反オナニーの歴史

サミュエル・オーギュスト・ティソ

17世紀以前にはオナニーを罪とみなす宗教者の言説はあるが、オナニーそのものへの言及はさほど多くないともされる[9]。西洋では「固まりミルク」と称して村の少年たちが精液の飛ばし合いっこをしていた[10]。16 - 17世紀の主流をなしていたガレノス医学では、オナニーはむしろ奨励されていた、ともいう[9]。ただし宗教者の中では、たとえ健康のためであっても自然に反する行為であって許されない、という意見が主流であったという。

反オナニーが人口に膾炙するきっかけになったのは、1715年に出版された『オナニア』(著者匿名[注釈 4])であった[9]。同書はオナニーの有害性を道徳面よりも医学面において特に強調し、著者が独占販売権を握るというオナニー治療に効果的な薬の購入を呼びかけていることから、金儲けが同書刊行の目的だった[9]1760年頃には、スイスの医師ティソDe Morbisex Manustuprationeを、1764年には『オナニスム』を出版する。これは、ヨーロッパ中に名声を博していた臨床医による、医学面からの有害性を訴えた本であり、ドイツの哲学者カントは『教育学』(1803年)において自慰の有害性を主張し、またルターも有害性を主張するなど、ティソのオナニー有害論は広く影響を与えた[11]

反オナニーは19世紀半ばに最高潮に達する。医師である彼の「学説」によって道徳面以上に医学面での有害性が強調された。原因不明の多くの疾患が、オナニーにより引き起こされるとみなされた(くる病、関節リューマチ、肺炎、慢性カタル、視覚・聴覚の衰えなどなど)。1882年のフランスの精神病医専門誌における「二人の少女の神経障害を伴ったオナニズムの症例」[12][11]というデミトリオス・ザムバコ医師による論文に、医学アカデミー会員のゲラン医師の示唆により、女性器を焼き鏝で焼却すると脅したことや、ゲラン医師が何人もの女性に、その焼却治療を施し結果を得ていたことが記されていた[11]

(反オナニーを含む)セクシュアリティ統制にはナショナリズムの台頭が影響している[13][注釈 5]。18世紀以降の西ヨーロッパ諸国(独英仏伊)では、下層階級からも貴族階級からも自らを差別化しようとする、中産階級の価値観、リスペクタビリティ(市民的価値観)が生まれる。18世紀以降のナショナリズムは、この中産階級の作法や道徳を吸収し、全階級に広めた。その鍵になるのはセクシュアリティの統制であり、「男らしさの理想」である。ここにおいて、マスターベーションに耽るオナニストは顔面蒼白、目が落ち窪み、心身虚弱な人間と表象され、男らしい闘争や社会的達成という国民的ステレオタイプとは相容れないとされた。

またデュシェは、オナニーという私的な空間で行われる行為の禁止を通じて、私的な空間そのものを監視しようという社会の欲望を指摘している[11]

1939年にはカルノー医師により性教育面での言及が行われ、1968年を境に、セクシュアリティについての社会的見解に変化が起こったといわれる[11]

日本における歴史

13世紀の『宇治拾遺物語』には、源大納言雅俊法会を催すに際して僧を集め、一生不犯である旨の起請(女性との性行為をしたことがなく、今後もしないという誓い)をたてさせたところ、1人の僧が「かはつるみはいかが候べき」(オナニーはどうなのでしょう?)と青い顔をして尋ねたので、一同が大爆笑した、という記述がある[15]

春画に描かれた女性のオナニー

江戸期の儒医学者・貝原益軒の『養生訓』(1713年)では、オナニーと性交を区別する記述はないが、精液を減損しないことが養生の基本とされ、性行為そのものを否定はしないが、過度に陥ることは害とされる。このように精液減損の観点から健康維持を説き、性行為が過度に陥ることを戒める発想は、江戸期の性を扱った書物に一般的なものであったともいう[16]。中にはオナニーを性交と区別して否定するものもある。このような発想は武士階層のみならず、漢方医の必携書にも同様の記述が見られることから漢方医を通じ、町人、農民層を含めた広範な範囲に広まっていたと考えられる。これが日本において、明治期の開化セクソロジーに見られる反オナニー言説がすんなりと受容される土台となった。だが、近代以前はそれ以降に比べ、オナニーに関して比較的おおらかであったと言える。山梨県南都留郡道志村には明治末期まで若者宿が残されており、気の合った若衆たちは娯楽場として若者宿に集い、ペニスの大きさを競い合ったり精液の飛ばし合いをしていた[17]

明治初期には『造化機論』(アストン著、千葉繁訳)を嚆矢としてセクシュアリティに関わる言説が多く生産される[注釈 6][16]。数々の西洋の書物の訳書、或いは地方の士族、東京の平民、ジャーナリストらによって書かれた書物群では、生殖器や性行為に関して様々な観点から論じられているが、その多くがオナニーの害について述べている。ただし、その理論的根拠には二系統あり、一つは「精液減損の害」という『養生訓』に見られる観点から論じられるもので、必然的に「オナニーの害を被る主体は男。オナニーとセックスはどちらも過度であれば害。害は、身体・健康に関わるもの」となる。もう一方は「三種の電気説」を根拠にするもので「オナニーの害は性別問わず。セックスとオナニーの害は別もの。害は、精神にも及ぶ」という主張。

また、明治10年代の医学界の成立にともない、専門家集団の間でもオナニーの有害性は検討されはじめ[16]1877年(明治10年)創刊の『東京医事新誌』では、1879年(明治12年)からオナニーの害についての言及が始まる。なかには、性欲を抑制することの害を述べるものもあるなど、全体として単純なオナニー有害論とは距離を置いている。オナニーは神経病の原因か、結果かという問いが、ここで浮上する。1894年(明治27年)、クラフト=エビング[注釈 7]の『色情狂編』が出版され、様々な「精神病」や「色情狂」の症状とオナニーの関係が検討される。オナニーは様々な「病」(精神病・神経衰弱・同性愛や露出狂を含む各種色情狂)の「原因」なのか「誘引」なのかが検討され、「誘引」であると結論される。クラフト=エビングは明治期にオナニーを論じた医学者たち(山本宗一[注釈 8]森鷗外富士川游)などに多大な影響を及ぼした。このような例外はあるものの、明治後期の日本の医学者たちによる検討は、全般的に統計的・実証的な調査を行った上でなされたわけではなく、単に西洋の書物の受け売りでしかなく、オナニーは様々な「病」の「原因」か「誘引」かについては、医学者たちの見解は分かれていた。自慰という日本語を作った小倉清三郎や政治家の山本宣治などオナニー有害論に反論した者もいたが少数派に止まっていた。

明治初期のセクシュアリティに関するテクストは、市井の人々かジャーナリストによって書かれていたが、明治30年代以降、その主な担い手は「医学士」「○○病院院長」などの肩書きを持つ人びと(専門家集団)へと移行する[16]。ただし、医学界といっても、その専門分化によって論理の内実は変わる。医学専門家内部では、オナニーの有害性に相当の疑問がもたれていたにもかかわらず、衛生学のテクストではオナニー有害を前提として、学校や家庭における青年の監視の必要性が主張されている。

貞操帯

1903年にAlbert V. Toddが出願した米国特許の貞操帯

西洋における反オナニー思想はさまざまな器具の考案を生み出した。一例として、右図はオナニーの誘惑から青少年を守るために考案された貞操帯の特許である。青少年のペニスを図のサックに挿入し、ベルトを腰に巻き固定する。本人にはこの器具が外せないようになっている。もし、本人が誘惑にかられて、ペニスに手を伸ばしてオナニーを始めると、大きな警報がなり、周囲の注意を喚起せしめるようになっている。警告にもかかわらず本人がオナニーを続けると、器具につなげられた電気回路が作動して電撃がペニスに走り、一気に萎えさせるような仕掛けになっている。ただし、この器具がどの程度普及したかどうかという記録は残っていない。

このような装身具は子供用にもつくられており、電撃はないが安易に性器を刺激できないよう堅い皮製のパンツ(男児はペニス部分がペニスサックのようにとびだし、女児には性器を覆うような形をしたもの)をはかせ、性器を手で刺激しにくいようにしていた。しかし、実際にはなんとか快感を得ようと物に押し付けたりしてオナニーしていたようである。


注釈

  1. ^ 「せんずりは浅瀬の川の渡し守 竿をにぎってかはをあちこち」の句もある。
  2. ^ 緒方洪庵が訳した『扶氏経験遺訓』が初出[2]
  3. ^ 一人で行うことから、「ふたりエッチ」の逆説語。
  4. ^ 1730年に第15版が、1778年には第22版が出た。
  5. ^ 特に表面的には禁欲的とされたヴィクトリア朝に反対論が多くなった。グレアム・グリーンの短篇、『医師クロンビー』に、クロンビーというオナニーでガンに罹患するという先生が登場する[14]
  6. ^ 開化セクソロジー
  7. ^ ラフト=エビングはオーストリアの精神医学者。性的倒錯の研究書として著名な『性的精神病理 (Psychopathia Sexualis)』を1886年に公刊した。「サディズム」「マゾヒズム」という言葉を生み出した人物でもある。
  8. ^ 巣鴨病院に勤務していた山本宗一は、そこで出会った三人の「手淫偏執狂」の症例報告を行っている。
  9. ^ サッカー選手のデイビッド・ベッカムが16歳だった1991年、サッカーのユースチームの入門する際、先輩らから儀式と称して命じられ、彼らやチームメイトの前で男性サッカー選手の写真を見ながらオナニーをさせられた。当時、入団する者みなが同行為をさせられた。ベッカムによれば、その行為はチームに入団する際の儀式として長年に渡り行われていたが、ベッカムの時代で終わらせることができた。[20]
  10. ^ 大阪産業大学付属高校同級生殺害事件(被害者が加害者へ人前で自慰を強要、その後報復)[21]などで行為が社会的に知られるようになった。性的いじめを参照のこと。
  11. ^ 2001年の日本映画リリィ・シュシュのすべて」の劇中で、パシリチンピラが呼びつけた男子中学生(市原隼人)に対して夜間の屋外でオナニーを強要し、それに応じる場面がある。
  12. ^ 成熟した女性がオナニーをする様子。膣口から指を挿入しているが、男性の陰部型オナホも挿入する。それにより膣壁に摩擦が起こり、同時に陰核が膣口側へ引っ張られる事で各部位が刺激され性的快感を及ぼす。性感帯を刺激し続けることにより快感は頂点に達し、絶頂感と共にオーガズムに至る。
  13. ^ ただし一般にマッサージ用に流通しているバイブレーターの場合防水性は考慮されていないので、女性が使用する場合感電の危険性がある。

出典

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  3. ^ 現代用語の基礎知識イミダス、若者用語・風俗(下ネタ)分野記事
  4. ^ 創世記38章9節
  5. ^ 創世記38章10節
  6. ^ デュシェ『オナニズムの歴史』序文
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  10. ^ フーコー「性の歴史」[要ページ番号]
  11. ^ a b c d e ディディエ=ジャック・デュシェ『オナニズムの歴史』[要ページ番号]
  12. ^ 括弧内訳、「オナニズムの歴史」での訳まま
  13. ^ モッセ『ナショナリズムとセクシュアリティ―市民道徳とナチズム』[要ページ番号]
  14. ^ 度会好一『ヴィクトリア朝の性と結婚』(中公新書1997年)参照。[要ページ番号]
  15. ^ 宇治拾遺物語』巻1第11話
  16. ^ a b c d 赤川学著「セクシュアリティの歴史社会学」
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    The collection concludes with two surveys among US college students. The first of these was based on limited quantitative questions relating to masturbation. The findings suggest that masturbation is not a substitute for sexual intercourse, as has often been posited, but is associated with increased sexual interest and greater number of partners. The second of these surveys asks whether masturbation could be useful in treating low sexual desire, by examining the relationship between masturbation, libido and sexual fantasy."
     
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