エーリヒ・ハルトマン エーリヒ・ハルトマンの概要

エーリヒ・ハルトマン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/23 17:17 UTC 版)

エーリヒ・ハルトマン
Erich Alfred Hartmann
Bf109G-6を後ろに、1943年頃の画像
渾名 ブービ(Bubi、坊やの意)
ブロンドの騎士
黒い悪魔
生誕 1922年4月19日
ドイツ国
ヴュルテンベルク人民自由州ドイツ語版
ヴァイスザッハドイツ語版
死没 (1993-09-20) 1993年9月20日(71歳没)
ドイツ
バーデン=ヴュルテンベルク州
ヴァイル・イム・シュブッチドイツ語版
所属組織 ドイツ国防軍空軍
ドイツ連邦軍空軍
軍歴 国防軍 1940年 - 1945年
第52戦闘航空団飛行隊長)
連邦軍 1956年 - 1970年
(第71戦闘航空団司令)など
最終階級 ドイツ連邦軍 名誉少将
除隊後 民間航空学校のインストラクター
テンプレートを表示

独ソ戦において、撃墜スコアを重ね、1944年8月25日に前人未踏の300機撃墜を達成した。総出撃回数1405回、うち825回の戦闘機会において最終撃墜数352機、被撃墜16回。敗戦後、ソビエト連邦での抑留を経て、1956年ドイツ連邦共和国空軍に入隊し現役復帰。官職を歴任し、1970年に名誉少将で退役。

乗機Bf 109G-4/R6の機首に黒いチューリップ風のマーキングをしていたため、ソ連空軍から「黒い悪魔」と恐れられた。

ハルトマンの乗機模型

  1. ^ 初撃墜から150機撃墜までの記録が残っている。352機までの記録も存在したが、こちらは終戦時に米軍あるいはチェコスロバキア軍により接収され行方不明
  2. ^ 但し一度だけ僚機が撃墜された事がある。戦争末期戦闘機パイロットの補充のため爆撃機パイロットであったギュンター・カピト少佐が機種転換訓練も受けずにハルトマンの戦隊に配属された。ハルトマンは出撃しても生き残れないと考え彼の出撃を制限していたが、10歳以上年長でかつ階級も上の彼の出撃を認めよとの催促に負けて僚機として出撃を許可した。しかし、彼はソ連のエースパイロット機に撃墜されてしまう。幸い不時着し事無きを得た。なお、戦後ハルトマンと一緒に捕虜となり10年抑留生活を送ったが、彼はハルトマンに対してこの時のことについて感謝の意を示している。事実、ハルトマンの僚機を務めた者で彼と行動中に戦死した者はいない。


「エーリヒ・ハルトマン」の続きの解説一覧




固有名詞の分類

騎士鉄十字章受章者 ヴィルヘルム・カイテル  パウル・マイトラ  エーリヒ・ハルトマン  ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン  フリードリヒ・パウルス
ドイツ第三帝国の軍人 フリードリヒ・フランツ・ツー・メクレンブルク  フリードリッヒ・フォン・デア・ハイテ  エーリヒ・ハルトマン  ハンス・グラードル  バルドゥール・フォン・シーラッハ
ドイツ連邦共和国の将軍 アルミン・ツィンマーマン  フリードリッヒ・フォン・デア・ハイテ  エーリヒ・ハルトマン  フォルカー・ヴィーカー  ヴォルフガング・アルテンブルク
第二次世界大戦のエースパイロット ミリスラフ・セミッツ  樫出勇  エーリヒ・ハルトマン  ブレンダン・エイモン・ファーガス・フィヌケーン  フランツ・フォン・ヴェラ
ドイツのパイロット ゲルハルト・フィーゼラー  ブルーノ・レールツァー  エーリヒ・ハルトマン  ヴォルフラム・フォン・リヒトホーフェン  フランツ・フォン・ヴェラ

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「エーリヒ・ハルトマン」の関連用語

エーリヒ・ハルトマンのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



エーリヒ・ハルトマンのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのエーリヒ・ハルトマン (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS