エジプト古王国 概略

エジプト古王国

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/02 09:38 UTC 版)

概略

サナクト王が、恐らくはエジプト第2王朝の王女を娶って紀元前2686年頃に王となり、エジプト第3王朝が開かれたことを以って古王国時代のはじまりとされる。現代では4つ、または6つの王朝が古王国時代に分類される[注釈 1]。先王朝時代から引き続いて首都はメンフィスに置かれた。

第3王朝(前2686年-前2613年)

この王朝の時代、多くの新機軸がエジプトに導入された。まず史上始めてピラミッドが建造された。サッカラに建造されたジェセル王の階段ピラミッドがそれであり、王の葬祭を担う重要な形式が成立した。またはじめてサナクト王の時代、初めてカルトゥーシュが用いられた。これはヒエログリフの文書で王名を囲う枠であり、その後古代エジプト文明の終焉まで使用され続ける事になる。

第4王朝(前2613年-前2498年)

史上名高いギーザの大ピラミッドが建造されたのがこの王朝の時代である。建造者であるクフカフラーメンカウラーの三王は現代最も著名な古代エジプト王の一角であり、ヘロドトスのような古代の著作家も彼等について記録を残している[1]。これらのピラミッドの様式は、第3王朝時代に作られた階段状の外観を持つピラミッドから、直線のラインを持つ真正ピラミッドへと切り替えられている。宰相職に王子が就任し、王族を中心とした体系的な官僚機構が整えられた[2]。この王朝の王達はまた、古代エジプトにおいても長く語り継がれ、中王国時代の文学作品にも主要な登場人物として登場した[3]

クフ王の小像

第5王朝(前2498年-前2345年)

ピラミッドの大きさは定型化し、第4王朝時代のような特大のピラミッドは建造されなくなった。変わって熱心に太陽神殿英語版が建造された。これはヘリオポリスにある高い砂と聖なるベンベン石を模した聖所で[4]あり、また王の称号に「ラーの子」が加えられるなど、太陽神ラーに対する崇拝が進展した。国家機構も第4王朝時代よりも更に整備され、官僚機構は次第に王族を中心とするものではなくなり細分化された。上エジプト地方の行政効率化のために常時複数の宰相が複数の任地で任務を分担する体制が整えられた[5]

第6王朝(前2345年-前2181年)

第5王朝に引き続いて定型化された大きさのピラミッド建造が続いたが、建築技術は退化しその多くは現在崩落の度合いが高い。ピラミッド内部にピラミッド・テキストと呼ばれる呪文が書かれるようになった[注釈 2]。これらの中にはラー神に対する物と並んでその後のエジプトで重要な信仰を集める冥界と復活の神オシリスに対する物が含まれる<。またこの王朝の時代には対外関係において極めて活発に活動し、採石、採、石材、木材を求めてシナイ半島パレスチナヌビア等に経済的、軍事的遠征が繰り返された[6]

第7王朝、第8王朝(前2181年-前2160年)

この時期を古王国とするか、次の第1中間期に分類するかは研究者により一定しない。第6王朝の末期、肥大化した官僚機構を改善するための行政改革はうまくいかず、また各地の州侯の自律性が高まって中央政府の地方に対する統制力が低下した。王の威光は低下し、一方勢力を増した各地の州侯や役人達は大型化し良く整備されたマスタバ墓を残している[7]マネト[注釈 3]は第7王朝はメンフィスで70日間に70人の王が統治したとする。この二つの王朝の実在は不確かであり、この時代にエジプトの統一が崩れた。第8王朝の若干の王はサッカラにピラミッドを残している。


注釈

  1. ^ 古王国の王朝は概ね第3王朝第6王朝、または第3王朝第8王朝のどちらかの分類が採用されている。前者の例としてフィネガン 1983、後者の例としてスペンサー 2009
  2. ^ 厳密にはピラミッド・テキストの登場は第5王朝最後の王ウナスのピラミッドからである。第6王朝の全ての王のピラミッドにピラミッド・テキストが残されている。
  3. ^ マネトは紀元前3世紀のエジプトの歴史家。彼はエジプト人であったが、ギリシア系王朝プトレマイオス朝に仕えたためギリシア語で著作を行った。
  4. ^ ノモスとはギリシア語に由来する語である。古代エジプト語ではセバトと呼ばれたが、現在一般にノモスという呼称で知られている。

出典

  1. ^ 『歴史』巻2 §124-§135(松平訳 1971, pp.240-248)
  2. ^ 畑守 1998, p.215,
  3. ^ 筑摩世界文学大系1 古代オリエント集』 pp.416-424
  4. ^ 屋形ら 1998
  5. ^ 畑守 1998, pp.227^228,
  6. ^ 屋形ら 1998, p.412
  7. ^ フィネガン 1983, pp.255-258
  8. ^ 古谷野 2003, p.260
  9. ^ 畑守 1998, p.216
  10. ^ 畑守 1998, pp.216-217
  11. ^ 畑守 1998, 217p
  12. ^ 畑守 1998, 224p
  13. ^ 吉村氏の階段ピラミッドと真正ピラミッドに対する見解は、参考文献『吉村作治の古代エジプト講義録 上』を参照。
  14. ^ 近藤 1997, p.95





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