馮玉祥とは? わかりやすく解説

ひょう‐ぎょくしょう〔‐ギヨクシヤウ〕【馮玉祥】

読み方:ひょうぎょくしょう

ふうぎょくしょう(馮玉祥)


ふう‐ぎょくしょう〔‐ギヨクシヤウ〕【馮玉祥】


フォン‐ユイシアン【馮玉祥】

読み方:ふぉんゆいしあん

ふうぎょくしょう(馮玉祥)


馮玉祥

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/05 06:41 UTC 版)

馮 玉祥(ふう ぎょくしょう、ひょう ぎょくしょう[1])は中華民国の軍人。中華民国国軍陸軍一級上将。北京政府に属し、当初は直隷派であったが、後に国民軍を組織し、その指導者となった。北伐に際しては五原誓師を行い、全軍で中国国民党国民政府に加入、国民革命軍に参加している。旧名は基善煥章。祖籍は安徽省廬州府巣県(現在の巣湖市)。


注釈

  1. ^ 1880年説もある
  2. ^ ただしこれ以後も、五原誓師に至るまで馮玉祥の軍は「国民軍」とも一般に呼ばれていた[7]
  3. ^ 方振武は、かつて国民軍第5軍軍長をつとめたこともある。

出典

  1. ^ 馮玉祥”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. 2022年7月2日閲覧。
  2. ^ 宗志文「張之江」148頁。
  3. ^ a b 程舒偉・劉信君「鹿鍾麟」237頁。
  4. ^ 宗148-149頁。
  5. ^ 宗149頁、程・劉237頁。
  6. ^ a b 范春栄「張敬尭」230頁。
  7. ^ 郭卿友主編『中華民国時期軍政職官誌 上』403頁。
  8. ^ 郭同上408頁。
  9. ^ 詳細は、任松・武育文「郭松齢」(中国社会科学院近代史研究所 『民国人物伝 第12巻』 中華書局、2005年)などに拠った記事「郭松齢」を参照。なお郭松齢敗死後の残軍は、魏益三が統率して馮玉祥の下に合流し、国民軍第4軍となっている。郭同上。
  10. ^ 寧夢黛「馮玉祥的“丘八詩”」2008年8月6日(「民族魂」ホームページ)
  11. ^ 中野(1938)。
  12. ^ 『思想・人物・時代』 土田杏村 千倉書房(1932)5p


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