避諱
避諱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/05 10:13 UTC 版)
避諱(ひき)とは、君主や目上の者の諱の使用を忌避する慣習である。中国など東アジアの漢字文化圏にみられる。二字名の場合にどちらか一字を忌避することを偏諱(へんき)という。この項では中国の避諱を中心に記述する。
注釈
- ^ 「中国」のように、言い換えが定着したため、後の王朝でも本来の呼び方に戻されなかった例もある。
- ^ 夭逝した殤帝を除く。
- ^ 二名不偏諱令:「世」と「民」を連続して使うのでなければ避諱を犯すものではないとするもの。なお、次代高宗は、この詔を撤回した。
- ^ 「観察された(avalokita)」+「音・声(svara)」と解している(旧訳)。なお、唐代の玄奘は、避諱の問題とは独立に、アヴァローキテーシュヴァラ(Avalokiteśvara)を、「観察された(avalokita )」と「自在者(īśvara)」の合成語と解釈し「観自在菩薩」と訳し(新訳)、「古く光世音、観世音、観世音自在などと漢訳しているのは、全てあやまりである」としている。ただし、中央アジアで発見された古いサンスクリットの『法華経』では、アヴァローキタスヴァラ(avalokitasvara)となっており、鳩摩羅什の訳したものは玄奘の底本とは異なるテキストだった可能性もある。
- ^ 例えば、「婚」は、それまで「㛰」と書かれた。
- ^ 「葉」の「世」の部分を「云」とした文字。
- ^ UnicodeCJK統合漢字拡張Bでは「毗登」の合字が U+2AF65 の符号位置で収録されている。
- ^ 日付は資料により異なる
- ^ 天皇家の通字が「仁(ひと)」であり、歴代天皇の諱はほとんどが「仁」字が付いている。また親王妃は名に「子」がある事が選ばれる絶対条件の一つで、女性皇族も「子」の字が名に入る
出典
- ^ 堀野哲仙 『文字の探訪-書の魅力-』 明治書院、2011年、p.79 「第三章 異体字 二 2 欠画」
- ^ 渡辺晃宏『日本の歴史04 平城京と木簡の世紀』p.296
- ^ 林大樹「近世後期の天皇避諱欠画令」『日本歴史』805号(2016年)
- ^ 明治元年十月九日太政官布告による。『太政官日誌 明治元年 第110号』太政官、1876年 。
- ^ 明治五年正月二十七日太政官布告による。『太政官日誌 明治5年 第7号』太政官、1876年 。
- ^ 『法令全書 明治6年』内閣官報局、1912年、155頁 。
- ^ Ngô Đức Thọ 1997
- ^ “KPS 9566” (PDF). 一般社団法人 情報処理学会 情報規格調査会. 2006年6月22日閲覧。
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