サディスティック・ミカ・バンド
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サディスティック・ミカ・バンド(Sadistic Mika Band)は、日本のロックバンド。1972年デビュー。1974年には2ndアルバム『黒船』を英米でも発表し、1975年10月にはイギリスで高い人気を誇っていたロキシー・ミュージックの国内ツアーの前座を務めた[2]。同年解散したが、これまでに3度、ゲスト・ボーカリストを迎えて再結成された。
注釈
- ^ ビートルズやピンク・フロイドのアルバムを手掛けたことで有名だった。
- ^ 幻のセカンドアルバム『駅前旅館』は諸問題により頓挫、後に「お花見ブギ」のみがベスト・アルバムに収録され日の目を見る。
- ^ ロキシー・ミュージックの広報を担当したサイモン・パクスレー(Simon Puxley)とマネージメントの契約を結んで参加した。10月14日と15日のマンチェスター公演、17日と18日のウェンブリー・エンパイア・プールでのロンドン公演の音源を『Live In London』として発表した。今野雄二の解説によると、聴衆には大好評で、ロキシー・ミュージックの出番が遅れてしまったという。
- ^ 「塀までひとっとび」は1989年及び2007年の再結成ライブの際にも、終盤に演奏された。再結成時の音源は、ライブ盤『晴天 SADISTICK MICA BAND LIVE IN TOKYO 1989』(1989年)、『Live in Tokyo』(2007年)で、解散前のライブでの音源は、『Live in Tokyo』(2007年、曲名は加藤によって書かれたメモにより、「HiHiHi」と表記されている)、『Live In London』(1989年、ミカが本来の英語タイトルである「Suki,Suki,Suki」の名前で紹介している)で聴くことができる。
- ^ 英ハーヴェスト盤には「オキナワBOOGALOO」の英語ヴァージョンが収録されている。
- ^ 後藤は正式メンバーではなく、サポートメンバー扱いだった
- ^ 名義は「加藤和彦とサディスティック・ミカ・バンド」。後にCD『加藤和彦の世界』などにも収録も、「銀河列車」終奏後のMCはここでしか聴けない。
出典
- ^ a b c d “サディスティック・ミカ・バンド(サディスティック・ミカ・バンド)の情報まとめ”. OKMusic. ジャパンミュージックネットワーク株式会社. 2021年9月9日閲覧。
- ^ a b Buckley, David (2004). The Thrill of It All: The Story of Bryan Ferry & Roxy Music. London: Andre Deutsch. pp. 197-198. ISBN 0-233-05113-9
- ^ 『レコード・コレクターズ』2007年1月号、株式会社ミュージックマガジン、2006年12月15日、60頁、ASIN B000LUYOYM。
- ^ “「匠の記憶」第6回 サディスティック・ミカ・バンド『黒船』ディレクター 新田和長さん”. mora. 株式会社ソニー・ミュージックソリューションズ (2015年7月9日). 2024年7月5日閲覧。
- ^ “Discogs”. 2024年2月21日閲覧。
- ^ “木村カエラを迎えたサディスティック・ミカ・バンドのリリース決定!”. BARKS. ジャパンミュージックネットワーク株式会社 (2006年8月24日). 2021年9月9日閲覧。
- 1 サディスティック・ミカ・バンドとは
- 2 サディスティック・ミカ・バンドの概要
- 3 来歴
- 4 在籍したメンバー
- 5 映画
固有名詞の分類
日本のバンド | フィッシュマンズ SandyTrip サディスティック・ミカ・バンド MICA 3 CHU ヴァージンVS |
ロック・バンド | ネガティヴ ニューヨーク・ドールズ サディスティック・ミカ・バンド Silbermond Kagrra, |
ポピュラー音楽の音楽家一覧 (日本・グループ) | All Japan Goith abingdon boys school サディスティック・ミカ・バンド ヴァージンVS Do As Infinity |
映画作品 | リング0 〜バースデイ〜 ケイン号の叛乱 サディスティック・ミカ・バンド WILD NIGHTS ターミネーター |
ミュージシャン一覧 (グループ) | SHACHI AJISAI サディスティック・ミカ・バンド 時給800円 LOFTY |
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