everset時代と東日本大震災
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/16 14:00 UTC 版)
「緋村剛」の記事における「everset時代と東日本大震災」の解説
上京後、楽曲への方向性等で所属事務所やレコード会社と折り合いがつかず、Missing Tearとしての区切りをつける事を決意しドラマーに中島卓偉のサポート等を務めた近藤彩人を迎え「everset」として新たに活動を展開。 音楽性もガラリと変え、自信のボーカルスタイルに変化が現れるのもこの頃だった。 全国ツアー等、おびただしい量のライブをこなし、赤坂BLITZ(現マイナビBLITZ赤坂)公演を成功させる等、着実に成長を遂げるバンドだったが、自信の音楽への追及と他メンバーの方向性等について深くミーティングを続けた結果、活動を一旦休止する道を選択し、2011年3月12日のSHIBUYA O-EASTでのワンマン公演をもって休止期間に入る予定だった。 だが、前日の3月11日に起こった東日本大震災で公演延期を余儀なくされる。地震発生時、バンドは都内のスタジオでリハーサル中で、すぐに避難して無事だったものの、地震の影響をニュース等で知るにつれて翌日の公演は開催が困難だと即時に判断し公表。 あと1公演で活動休止に入るはずだったバンドは、主要都市を回るチャリティツアーを決行することを発表した。 無事にツアーは各地で行われ、公演中に集まった義援金は復興支援の一環として寄付されている。 そして日を改めた2011年6月27日、SHIBUYA O-EASTにてツアーファイナルとなるワンマンライブ「FOREVER AND EVER」を行い、ここから活動休止期間に入った。
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