UAE時代(2008年 - 2009年)
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「ココアビーチ (競走馬)」の記事における「UAE時代(2008年 - 2009年)」の解説
2008年1月、移籍初戦はナドアルシバ競馬場の一般レースであったが、いかんせん斤量が60キログラムとなったためか2着と敗れる。しかし、続く準重賞であるUAE1000ギニー、UAEオークスを連勝し、UAEダービーに出走するが、ここでは3着に敗れてしまう。 UAEの競馬シーズンが終わり、主戦場をアメリカに移したココアビーチは一般競走から始動し、ここを快勝。続いてG1競走ベルデイムステークスに駒を進める。レースは4頭立てと、欧米のG1レースとしても少数立てとなったが、対戦相手には強敵ジンジャーパンチが名を連ねていた。レースはジンジャーパンチが先手を奪い、主導権を握ると最後の直線までレースを引っ張る。そのジンジャーパンチは、最後の直線でも脚色が衰えなかったが、ココアビーチが捉えにかかると、粘るジンジャーパンチをゴール前でねじ伏せてG1初挑戦で、初制覇となった。 続いてブリーダーズカップ・レディーズクラシックに出走。この年はサンタアニタパーク競馬場で行われたため、ダートではなくオールウェザーコースで行われ、ココアビーチ自身は同馬場初挑戦となった。レースではゼニヤッタの独擅場となり、最後に着差を縮めることが精一杯であった。 ブリーダーズカップ後は、もう1戦することとなり、芝のG1であるメートリアークステークスに出走した。控える競馬で臨んだレースでは、同レースの前年の覇者であるプレシャスキトゥンをゴール前で半馬身差ながらかわして2つ目のG1タイトルを手にした。 明け5歳となった2009年は6月のヘザーテンステークスから始動したが4着に敗れた。その後、8月5日のデラローズステークスでは1番人気に応え勝利した。続く8月29日のボールストンスパハンデキャップ (G2) では4着に敗れた。続く10月10日のレディーズシークレットステークスではゼニヤッタの3着に入った。続くブリーダーズカップ・レディーズクラシックでは見せ場がなく6着に敗れ、このレースを最後に現役を引退した。
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