ツェデブスレン・ムンフザヤとは? わかりやすく解説

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ツェデブスレン・ムンフザヤ

(Tsedevsürengiin Mönkhzayaa から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/29 02:05 UTC 版)

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獲得メダル
モンゴル
柔道
世界選手権
2015 アスタナ 63kg級
アジア選手権
2015 クウェートシティ 63kg級
2012 タシュケント 63kg級
2009 台北 63kg級
2011 アブダビ 63kg級

ツェデブスレン・ムンフザヤ(Tsedevsuren Munkhzaya 1986年6月13日- )はモンゴルウランバートル出身の柔道選手。階級は63kg級。身長165cm[1][2]。2段[3]

人物

2005年のアジアジュニア70kg級で3位になった。2006年の東アジア選手権でも3位だった。その後階級を63kg級に下げた[2]。2007年の世界団体では3位となった。2009年のアジア選手権は3位だった。地元で開催されたワールドカップ・ウランバートルではこの年から3連覇を達成した[2]。2011年のアジア選手権では3位だった。2012年のアジア選手権では決勝で日本の上野順恵大外刈で敗れた[2]ロンドンオリンピックでは準々決勝で世界チャンピオンであるフランスのジブリズ・エマヌを判定ながら破る健闘を見せるも、準決勝でスロベニアのウルシカ・ジョルニル大内刈で敗れると、3位決定戦でも上野に指導2で敗れて5位にとどまった[1]。その後暫く国際大会から遠のいていたが、2015年にはグランプリ・デュッセルドルフで2位になると、アジア選手権では優勝を飾った[4]世界選手権では準々決勝でスロベニアのティナ・トルステニャクに敗れるも、その後の敗者復活戦を勝ち上がって3位になった[5]。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは初戦で敗れた[2]。2017年1月には引退を表明した[6]

主な戦績

70kg級での戦績

63kg級での戦績

(出典[2]JudoInside.com)。

脚注

  1. ^ a b Biography and Olympic Results
  2. ^ a b c d e f profile
  3. ^ DORJSUREN Sumiya's multimedia info and results Archived 2014年4月5日, at the Wayback Machine.
  4. ^ Asian Judo championship earn medal wins at Mongolian judokas”. 2015年5月20日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年5月18日閲覧。
  5. ^ Championships 2015, Astana”. 2015年8月26日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2015年8月27日閲覧。
  6. ^ Munkhzaya Tsedevsuren and Bundmaa Munkhbaatar make space for the future

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