岩宮武二とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 岩宮武二の意味・解説 

岩宮武二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 10:12 UTC 版)

岩宮 武二(いわみや たけじ、1920年(大正9年)1月4日 - 1989年(平成元年)6月26日)は、日本写真家鳥取県米子市出身。

経歴

叔父(米子写友会の中心的メンバーであった村上誠三)が写真店を経営していたことから、少年期から写真に興味を持つ。

米子商蚕学校(現・鳥取県立米子南高等学校)卒業。阪急百貨店に就職後、プロ野球・南海(現・福岡ソフトバンクホークス)二軍に入るが、まもなく体を壊し退団[1]。商船会社に勤めるかたわら、入会した丹平写真倶楽部で、安井仲治上田備山らと知り合う。

第二次世界大戦での出征を経て、戦後に「岩宮フォトス」を開業しフリーカメラマンとなる。1962年『佐渡』(朝日新聞社)。1966年(昭和41年)、大阪芸術大学教授、写真集『京 Kyoto in KYOTO』で毎日芸術賞受賞。1969年、『宮廷の庭1・2・3』で芸術選奨文部大臣賞受賞。他に『アジアの仏像』など作品集を多数残している。

1975年、『京都の庭』シリーズの写真ネガを預けていた出版社に男が押し入りネガが盗まれた。出版社は岩宮に500万円の賠償金を支払ったが、これを知った男が岩宮を脅迫して賠償金を奪おうと計画。東アジア反日武装戦線名で岩宮に脅迫状を送り付けたが、男は翌年までに警察に捕捉され書類送検された。単独犯であり、過激派などの背後関係は無かった[2]

生誕100年にあたる2020年には回顧展が東京、大阪、出身地の鳥取県米子市で開催された。

主な作品は、大阪府、大阪芸術大学東京都写真美術館鳥取県立博物館米子市美術館などに収蔵されている。

関連人物

参考文献

コトバンク”. 朝日新聞社. 2013年7月9日閲覧。

脚注

  1. ^ 岩宮武二展、略年譜
  2. ^ 写真家恐喝を自供 ネガ盗んだ上に脅迫状『朝日新聞』1976年(昭和51年)10月23日夕刊、3版、9面



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「岩宮武二」の関連用語

岩宮武二のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



岩宮武二のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの岩宮武二 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS