Saint-Saensとは? わかりやすく解説

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カミーユ・サン=サーンス

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/14 05:24 UTC 版)

シャルル・カミーユ・サン=サーンスフランス語: Charles Camille Saint-Saëns, フランス語: [ʃaʁl kamij sɛ̃ sɑ̃(s)];[注 1], 1835年10月9日 - 1921年12月16日)は、フランス作曲家ピアニストオルガニスト指揮者。広く知られた作品として『序奏とロンド・カプリチオーソ』(1863年)、ピアノ協奏曲第2番(1868年)、チェロ協奏曲第1番(1872年)、『死の舞踏』(1874年)、オペラサムソンとデリラ』(1877年)、ヴァイオリン協奏曲第3番(1880年)、交響曲第3番『オルガン付き』(1886年)、『動物の謝肉祭』(1886年)などが挙げられる。


注釈

  1. ^ イギリス: [ˈsæ̃sɒ̃(s)],[1] アメリカ: [sæ̃ˈsɒ̃(s)].[2][3] フランス語話者の知識人や、ごく少数の音楽家は、1844年の批評で特記された末尾の「s」を省略した伝統的な発音([sɛ̃ sɑ̃])を用いているが[4]、「s」を発音することはラジオのアナウンサーをも含めて現在のフランスでは非常に一般的になっている。なおサン=サーンスの父は、同じ綴りで1940年-1950年頃まで末尾の「s」を発音していなかった町、サン=サン(Saint-Saëns。現在の読みはサン=サンス)と同じ発音で読まれることを望んでいたと言われる[5]
  2. ^ ドレフュス事件アルフレド・ドレフュスの敵対勢力に反ユダヤ主義が蔓延した際、ドレフュスに資金を用立てたサン=サーンスの本当の苗字は「カーン」(Kahn)であるとの噂が立てられた[7][8]。実のところ、Gdal Saleskiをはじめとする20世紀初頭の音楽史家はサン=サーンスには一部ユダヤ人の血が流れていると報告している[9]。他にも、彼の遠祖にユダヤ人がいるという噂が囁かれた[10][11]。これには複数の否定意見がついている[12][13][14]。現実にはサン=サーンスの祖先にユダヤ人はいなかったが、それでもナチス体制下のドイツでは党による彼の音楽の禁止措置は解かれなかった[15]。ミヒャエル・シュテーゲマン(Michael Stegemann)は、1890年代以降のフランスで反ユダヤ感情が高まるなかで、敵対者が流言を広めたものと推測している[16]
  3. ^ 2012年に開催されたサン=サーンスに関するシンポジウムでは、サン=サーンスが1889年から1913年の間に執筆した3報の論文などの彼の天文学への貢献を、Léo Houziauxが取り上げた[27]。Houziauxはサン=サーンスの業績が天文学の科学をフランスで大衆化させる一助となったと結論づけている[28]
  4. ^ サン=サーンスの弟子であったガブリエル・フォーレが1905年に学長に就任してカリキュラムを徹底的に自由化するまで、音楽院は保守主義の要塞であり続けた[31]
  5. ^ サン=サーンスは3歳から作曲を嗜んできた。そうした最初期の作品群は彼の母によって保管されており、大人になった彼はそれらが音楽的にはさして興味を引くものではないながらも、技法的に十分なものとなっていることを見出して驚いている[36]。1839年3月の日付となっている現存する最古の作品は、パリ音楽院の所蔵品の中に収められている[20]
  6. ^ ハーモニウムが一般に用いられなくなってきていた1935年、アンリ・ビュッセルがこの作品をオルガンのために編曲している[40]
  7. ^ 他の著作家はこの言説について異なる説明、由来を示している。サン=サーンス自身は年老いてから、このコメントが生まれたのは自分が18歳の時で、生みの親はベルリオーズではなくグノーであったと回想している[56]ジュール・マスネの回顧録によると、この冗談で語られているのは自分のことであり、1863年にオベールがベルリオーズに「あの若いいたずら者は、経験の少ないうちに先へ進んでいきますよ」と言った際のことであるという[57]
  8. ^ 実際はロッシーニは一度も会合に姿を見せず、オベールはずっと居眠り、グノーは辞退したため、決定はベルリオーズとヴェルディに委ねられた[63]
  9. ^ 当時やその後の民衆の感覚にもかかわらず、新しい国民音楽協会それ自体は反独というわけではなかった。サン=サーンスと仲間たちはあらゆる国の芸術家の芸術表現の自由を信じており、フランスがプロイセンに屈辱を味わわされたとはいえ、多くのフランスの芸術家がドイツの文化に強い尊敬の念を持ち続けていたのである[67]
  10. ^ a b サン=サーンスが同性愛者だったとする推測には確かな根拠が存在しない[90][91]。2012年のサン=サーンスの私生活の研究にて、ミッチェル・モリスは典拠が怪しいとしながらもサン=サーンスに帰する話であるとして、次の発言について述べている。「私は同性愛者でない。少年愛者である[92]。」(Je ne suis pas homosexuel. Je suis pédéraste.)ベンジャミン・アイヴリーが2000年に著したモーリス・ラヴェルの伝記によると、サン=サーンスは「性交のために北アフリカの男性に金銭を支払ったが、額が明らかに少なすぎ、恐喝する手紙が届いて悩まされていた」とされるが、アイヴリーはこの言及について出典を示していない[93]。スティーヴン・スタッド(1999年)とケネス・リング(2002年)は結婚を除くと、サン=サーンスの関係性と性向は純精神的であったと結論づけている[94]。本人は自分に関する風評に無関心であった。「仮に私の性格が悪いと言われているのだとしても、私にとってはどうでもいいことだから安心して欲しい。そのままの姿を私として受け取ってくれたまえ[95]。」
  11. ^ サン=サーンスはマスネと友好的な関係を維持していたが、個人的には毛嫌いし、不信感を抱いていた[76]。にもかかわらず、彼らは互いの音楽にはこれ以上ない敬意を払っており、マスネの側で自分が作曲を教える生徒にサン=サーンスの作品を手本として使ったかと思えば、サン=サーンスはマスネを「我らが音楽の冠にあって最大級に煌めくダイヤモンド」と呼んでいた[77]。サン=サーンスはマスネ夫人のことは気に入っており、彼女の夫の作品である『タイス』から「タイスの死」に基づく演奏会用パラフレーズを彼女に捧げている[78]
  12. ^ サン=サーンスはキリスト教徒というよりむしろ理神論者に近かった。無神論を認めるわけではなく「神が存在する証拠には反駁不能である。それは科学の領域に存せず形而上学に属する[のであるけれど][82]。」
  13. ^ ロンドンでヘンデルを研究したサン=サーンスは、自分よりも遥かに速筆の作曲家がいたことを知り当惑した[99]
  14. ^ フォーレ門下であったラヴェルやシャルル・ケクランらの新世代の作曲家たちは、ダンディの頑迷さに業を煮やし、1909年に袂を分かって新しく独立音楽協会を設立することになる。この団体が理想とするものは、1870年にサン=サーンスと彼の仲間が掲げた元来の思想に近いものであった[104]
  15. ^ 一方シュテーゲマンは、これらの出来事は作曲活動に大きく影響せず「リンゴの木がリンゴを実らすように(...)自分の本性の法則に従って[112]」規則正しい創作活動を続けたとする[113]
  16. ^ この催しにはグリーグも招待されていたが、病気のために臨席できなかった[119]
  17. ^ 公的には依然として栄光を受けていたものの若い世代からは「形式主義的」で「絶望的に古臭い」と攻撃され[128]、彼の影響を認める作曲家はラヴェルなどわずかしかいなかったのである[129]
  18. ^ ドビュッシーに対してはさらに、交響組曲『春』に対して、嬰ヘ長調であることを理由に管弦楽に適さないとも評した[138]。一方、ドビュッシーはサン=サーンスの批判者の筆頭であったものの[139]、「サン=サーンスほどの音楽通は世界広しといえどもほかにはいない」とも述べている[140]
  19. ^ サン=サーンスは先人たちから多くを学びながらも、特定の流派に従うことはなかった[163]。著書『和声と旋律』("Harmonie et Mélodie", 1885)で彼は、「私が愛するのはバッハでも、ベートーヴェンでも、ヴァーグナーでもない。(...)芸術なのだ。私は折衷主義者である。それはおそらく大きな欠点だが、私にはそれをあらためることは不可能である。つまり人はその天性を作り直すことはできないからだ。その上、私は自由を熱烈に愛しており、賛嘆を強いられるのに耐えることができない[164]」と語っている。
  20. ^ サン=サーンスの透明な管弦楽法に、ワーグナーからの影響はみられない[167]。「ヴァーグナーがすべてで、彼の作品以外には何も認めないような狂信家」を非難したことは、彼が敵意を持たれる理由のひとつにもなった[168]
  21. ^ サン=サーンスは著書『Musical Memories』に次のように書いている。「巧みに構成された単純な和音の進行、その並びだけでも美しいものに純粋な喜びを感じない者は、真に音楽を好んではいないのだ[184]。」
  22. ^ この楽曲が史上初の映画のための作品として引き合いに出されることがあるが[187]、先立つ例がいくつか存在する。無声映画のために書かれた最初のオリジナル管弦楽曲として知られるのが、1904年にパテが配給した『マリー・アントワネット』のためにハーマン・フィンクが作曲した音楽で、奏者40名以上のオーケストラのために書かれた楽曲だった[188]。当時の『アンコール』誌は、映画に音楽を提供するにあたりフィンクが「調和のとれた筆致」を持っていると評している[189]。他にも『Soldiers of the Cross』(1900年、作曲者不明)がある[190]
  23. ^ サン=サーンスはサリヴァンと友好関係にあり、かつその音楽を好んでいたので、ロンドンにいる折には必ず最新のサヴォイ・オペラを観劇していた[202]
  24. ^ 原文は、"En ce moment je consacre mes dernières forces à procurer aux instruments peu favorisés sous ce rapport les moyens de se faire entendre."[219]
  25. ^ 友人のシャンタヴォワーヌに宛てた同じく1921年4月15日の書簡より。「3部から成るオーボエのためのソナタをちょうど書き終わりましたが、まだ未発表です。残されたのはクラリネット、コーラングレ、ファゴット; もうすぐ出来上がります[219]。」(Je viens d'écrire une sonate en trois parties pour le hautbois, encore inédite. Restent la clarinette, le cor anglais, le basson; leur tour viendra bientôt.)
  26. ^ 詩の冒頭部は以下の通り。"Mea culpa! Je m'accuse de n'être point décadent."[233](「メア・カルパ!(私は間違っていた!)」認めよう、私が全く退廃的でなかったことを。) s:fr:Page:Saint-Saëns - Rimes familières.djvu/21

出典

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