フィル・ヒル(アメリカ)
61年にフェラーリを駆って、アメリカ人としては初のワールド・チャンピオンとなったドライバー。53年のカレラ・パナメリカーナでリッチー・ギンサーをコドライバーとして走ったときのコースアウトを唯一として、後はほとんど事故を起こさなかったことで知られる。頭角を現したのは50年代初期、アメリカの西海岸ぺブルビーチの公道を閉鎖して行われたレースで優勝したことにあった。ヨーロッパに活躍の場を移してからも、長距離のスポーツカー・レースで、光彩を放った。なかでもルマンは1953年と55年から67年まで連続して挑戦し、その間58年、61年、62年と3回の優勝を記録している。そのときのマシンはいずれもフェラーリ、コドライバーはオリビエ・ジャンドビアン。当時、これが無敵のコンビネーションと称賛された。67年いっぱいでレースから引退し、以後はレストアショップを営んで、多くのコンクール・ウイナーを送り出した。クラシックカーに関する該博な知識の持ち主としても知られている。
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