奈良ホテルとは? わかりやすく解説

奈良ホテル

(Nara Hotel から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/27 02:49 UTC 版)

奈良ホテル(ならホテル)は、奈良県奈良市高畑町にある、1909年明治42年)10月に営業開始したホテルである。本館は辰野金吾片岡安の設計による。


注釈

  1. ^ 近鉄グループは自社の主力観光地である奈良県から系列ホテルがなくなったため(「奈良 万葉若草の宿 三笠」などの旅館はある)、近鉄独自でのホテル再進出を検討するとしている[7]。なお、後述の通り、奈良ホテル別館がかつて近鉄奈良駅ビル内に存在した。
  2. ^ そのため両館の間には本館を模した外観の区画を設け、新館4階と本館1階はエスカレーターとエレベーター、それに階段で連絡する構造となっている。
  3. ^ 厨房は本館建設時から丘の斜面を削って地下1階相当の位置に設けられており、新館建設時にこれを拡張した
  4. ^ 本ホテルの用地は関西鉄道時代に既に西村率いる大日本ホテル株式会社の所有するところとなっていたが、国有化直前の1906年9月27日に同社から関西鉄道が購入したため、以後の建設事業は用地を保有する鉄道院が主体となって実施されることとなった。
  5. ^ 眺望と権利関係の複雑さが原因とされる。
  6. ^ このことは鉄道院直営となった1913年大正2年)から1983年(昭和58年)の株式会社奈良ホテル設立に伴う商号登記の際まで完全に忘却されたままとなっていた。そのため、商号使用の承諾を得るべく同社スタッフは西村の子孫を探して全国を行脚する羽目に陥ったという。
  7. ^ 関野貞の設計により1902年完成。重要文化財
  8. ^ 現行の旅館業法ではこのような職種等による宿泊客の選別・宿泊拒否は第五条で原則禁止されている。
  9. ^ 本ホテル本館では木造の建物の内部で火を扱う暖炉を使用することから、壁面に断熱材兼吸音材として難燃性の石炭ガラが詰められていた。そのため、煙突撤去や間取り変更などに苦労を強いられることとなった。なお、1984年竣工の新館においても本館との設備の調和に配慮し、客室に材を組んだマントルピースが設置されている。
  10. ^ その代価は約3,000円で、当時本ホテルの備品調達を担当していた鉄道省大阪鉄道局資材課の課長はそのあまりの高額さに驚愕したという。たとえば同時期の大阪電気軌道クラスの大手私鉄の年間利益が330万円程度、つまり1日あたりの利益が10,000円に満たない時代のことであり、その金額は当時の一般的な住宅が何軒も買えるものだったのである。これらの食器は以後、現在に至るまで皇族・国賓クラスの来館者の食事の際に供され続けている。
  11. ^ キャプテンと呼ばれた。
  12. ^ このことは、本ホテルを描いたカラー絵はがきでも確認できる。戦前発行の絵はがきでは外部の手すりが白木であるが、戦後のものは朱に着色されている。
  13. ^ このような事情から、本館客室の風呂・洗面所の配置は一部で変則的なものとなっている。
  14. ^ 2階建てであったが、本館側からは1階建てに見える位置関係にあった。
  15. ^ 本館入り口東南の現在駐車場として使用されているエリアにあった。この部分は撤去後も分解状態で部材が保管され、1985年大和文華館に移築されて同館の文華ホールとして現存する。
  16. ^ 真正面に若草山が見える絶好のロケーションであったため、若草山の山焼きの前後は東側の客室が常に満室となることで知られていた。
  17. ^ この時期の県下宿泊施設拡充は、続く1988年の「ならシルクロード博覧会」開催においても威力を発揮した。
  18. ^ 1999年に日本料理「花菊」に改装、以後、グリルはメインダイニングルームが肩代わりするように変更された。
  19. ^ この新館建設に伴う客室数大幅増加に対し、食堂はメインダイニングルーム北東に隣接する既存の宴会場1室を開放しメインダイニングルームと連結しL字状のフロア構成に拡大することで対応した。だが、供食設備の強化はそれでは済まず、本館と新館を連結する宴会場・ロビー区画からメインダイニングルームにかけての地下にまたがって広大な厨房・ベーカリー・冷蔵庫群が整備された。
  20. ^ ただし、本館との結合部分となる旧グリル跡の宴会場区画については本館に準じて瓦屋根に鴟尾を載せた白壁の和洋折衷様式とされ、本館とのデザインの連続性について配慮されている。
  21. ^ 都ホテル出資分は後に近鉄グループの改組で近鉄ホテルシステムズ、さらに近鉄グループホールディングスに引き継がれた。
  22. ^ 現在の奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~。奈良ホテル創設期に奈良県がホテル用地候補としていた東大寺南大門前参道東側の更に東側にあった四恩院跡の旧公会堂・奈良倶楽部跡地に建設された。
  23. ^ 窓部に設置されていたクーラーのエアコンへの置き換え。これによりリモコン操作による室温設定が可能となった。なお、1914年設置のスチームヒーターは以後もそのまま設置され続け、冬季を中心に使用されている。

出典

  1. ^ a b 株式会社奈良ホテル 第41期決算公告
  2. ^ “「関西の迎賓館」 奈良ホテル”. 交通新聞 (交通新聞社): p. 2. (1997年1月23日) 
  3. ^ "奈良ホテルヒストリー". 奈良ホテル. 2020年11月1日閲覧
  4. ^ a b 株式会社奈良ホテルの株式取得に関するお知らせ”. 西日本旅客鉄道株式会社 (2018年8月31日). 2018年8月31日閲覧。
  5. ^ a b “「関西の迎賓館」奈良ホテル、JR西の完全傘下に”. 産経WEST (産経新聞社). (2018年8月31日). https://www.sankei.com/article/20180831-TZLDMU63UVI47HKGNXVW6B6KHY/ 2018年8月31日閲覧。 
  6. ^ 都ホテルズ&リゾーツからの退会に関するお知らせ - 奈良ホテル 2018年11月10日(2018年11月12日閲覧)
  7. ^ “JR西、奈良ホテルを完全子会社に 訪日客獲得へ”. 日経電子版 (日本経済新聞社). (2018年8月31日). https://www.nikkei.com/article/DGXMZO34840110R30C18A8LKA000/ 2018年9月1日閲覧。 
  8. ^ a b c 「百年のホテル」p.39。
  9. ^ a b 「百年のホテル」p.58。
  10. ^ a b 辰野金吾設計の「奈良ホテル」、木材で耐震補強 建物の趣き損なわずジョルダンニュース、2018/3/28
  11. ^ a b 「百年のホテル」p.42。
  12. ^ MURANO design 村野藤吾について 作品年譜
  13. ^ a b 「百年のホテル」p.54。
  14. ^ 「近畿日本鉄道100年のあゆみ」 p.406 近畿日本鉄道 2010年発行
  15. ^ 「百年のホテル」pp.56-59。
  16. ^ 木造本館の耐震補強工事と客室等リニューアルのご案内”. 奈良ホテル公式サイト. 2017年5月4日閲覧。
  17. ^ a b c d 「百年のホテル」p.43。
  18. ^ 「百年のホテル」pp.43-44。
  19. ^ 「百年のホテル」pp.44-45。
  20. ^ a b c d 「百年のホテル」p.45。
  21. ^ a b 「百年のホテル」p.46。
  22. ^ 「百年のホテル」p.50。
  23. ^ 「百年のホテル」p.51。
  24. ^ a b c d e 「百年のホテル」p.52。
  25. ^ a b c 「百年のホテル」p.53。
  26. ^ a b 「百年のホテル」p.55。
  27. ^ a b 「百年のホテル」p.59。


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