Morrow Pivot II
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/31 11:48 UTC 版)
「ジョージ・モロー」の記事における「Morrow Pivot II」の解説
CP/Mプラットフォームは、より新しい (ただしCP/Mに非常に類似した) MS-DOS/PC DOSプラットフォームに急速に置き換わっていった。新しい16ビットのIntel 8086アーキテクチャは、CP/Mの64KB RAMの限界を打ち破り、最大1メガバイトのRAMを使用することを可能にした。マイクロソフトとIBMがユーザ志向のマーケティングを行ったのに対し、デジタルリサーチはそのようなマーケティングをしておらず、CP/Mの劣勢は覆せなかった。1985年、モローデザインズ社は初のIBM互換コンピュータとして、ランチボックス型のポータブルコンピュータ・Morrow Pivot II(英語版)を発表した。モローデザインズ社はゼニス・データ・システムズ(英語版)社にライセンス供与し、Z-171として販売された。低価格でブランド名が目立つようになったことで、ゼニス社はアメリカ政府にコンピュータを販売するという非常に利益率の高い契約を獲得した。モローデザインズ社の社長がゼニス社に移籍し、モローデザインズ社は1986年に破産を申請した。
※この「Morrow Pivot II」の解説は、「ジョージ・モロー」の解説の一部です。
「Morrow Pivot II」を含む「ジョージ・モロー」の記事については、「ジョージ・モロー」の概要を参照ください。
- Morrow Pivot IIのページへのリンク