西沢道夫
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西沢 道夫(西澤 道夫、にしざわ みちお、1921年9月1日 - 1977年12月18日)は、東京府荏原郡大崎町(現・品川区)出身のプロ野球選手(投手、内野手)・コーチ・監督、解説者。
- ^ a b c d 『中日新聞』1977年12月19日朝刊第一社会面15頁「元中日の大打者“ブンちゃん” 西沢道夫氏死去」(中日新聞社)
- ^ 中日ドラゴンズ伝説2009(2009)、p.2-3
- ^ 後に産業軍(1944年)→中部日本軍(1946年)→中部日本ドラゴンズ(1947年)→中日ドラゴンズ(1948年 - 1950年)→名古屋ドラゴンズ(1951年 - 1953年)→中日ドラゴンズ(1954年 - )と変遷。
- ^ 雑誌『ベースボールマガジン』1998年夏季号(1998年7月1日、ベースボール・マガジン社発行)の編集後記より。また、西沢以後にも同じく練習生として、1946年 - 1947年に東京ジャイアンツ→読売ジャイアンツの長岡久夫、ブルペン捕手として、1948年に東急フライヤーズの太田義次がそれぞれ付けていたことが記載されており、西沢以外は同誌の球団別背番号年表の0の欄に名前が掲載された。
- ^ この記録は2001年に西武ライオンズのアレックス・カブレラが49本塁打で本塁打王を逃す(大阪近鉄バファローズのタフィ・ローズが55本塁打で本塁打王)まで「タイトルに届かなかった最多本塁打」の日本プロ野球記録だった。なお、現在は2003年にカブレラが50本塁打でタイトルを逃したのが最高記録である(本塁打王は51本のローズ)。
- ^ 中日ドラゴンズ『中日ドラゴンズ70年史』中日新聞社、2006年。ISBN 4-8062-0514-1。32頁
- ^ 大阪猛虎「首将」が脱帽した酒仙投手と牛若丸の凄さ
- ^ 『中日新聞』1977年1月22日朝刊第12版第一運動スポーツ面17頁「水原、西沢両氏 野球殿堂入り」
- ^ 医療法人財団 川野病院 - 立川市
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