MSA小麦の受け入れ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/05 21:04 UTC 版)
1954年(昭和29年)3月、日本は日本国とアメリカ合衆国との間の相互防衛援助協定(Mutual Security Act、MSA)に調印した。MSAは本来軍事援助のためのものであるが、その中にはアメリカの余剰農産物を購入する余剰農産物購入協定も含まれていた。日本はアメリカ産の小麦50万トンを受け入れることになった。 この「MSA小麦」は政府から製粉業者に払い下げられることになったが、日本で需要のあった硬質小麦ではなく軟質小麦だったうえに他の輸入小麦に比べて割高であり、質もあまり良くないものだったという。 余剰農産物の輸出と軍事援助を組み合わせたMSAには批判も多く、余剰農産物の処理は農業貿易開発援助法(The agricultural trade development and assistance act)、通称PL480(Public Law 480、公法480号)に引き継がれることになる。日本はこのPL480にも調印し、1955年(昭和30年)5月、アメリカ産の小麦約34万トンを受け入れた。
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