Lahad Datuとは? わかりやすく解説

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ラハダトゥ

(Lahad Datu から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/29 14:14 UTC 版)

ラハダトゥ
Lahad Datu
位置

ラハダトゥ郡と町
位置
ラハダトゥ
ラハダトゥ (東マレーシア)
ラハダトゥ
ラハダトゥ (マレーシア)
座標 : 北緯5度1分48秒 東経118度20分24秒 / 北緯5.03000度 東経118.34000度 / 5.03000; 118.34000
行政
国 マレーシア
 州 サバ州
 省 タワウ省
 郡 ラハダトゥ郡
 町 ラハダトゥ
人口
人口 (2010年現在)
  町域 199,380人
その他
等時帯 マレーシア標準時 (MST) (UTC+8)

ラハダトゥ(Lahad Datu)は、マレーシア東部、ボルネオ島北東部のサバ州タワウ省ラハダトゥ郡に属する町。人口は約20万人(2010年)。セレベス海ダーベル湾(英語版)の北辺となる半島に位置する。

町はココアとアブラヤシのプランテーションに囲まれている。木材輸出に利用される港と、国内線用のラハダトゥ空港がある。ダヌムバレー保護地域への入口となっており、東にはタビン野生生物保護区、南にはマダイ洞窟がある。

歴史

14世紀末にイスラム教がサバ州で最初に入って来たと考えられる。これは1408年ジャウィ文字で書かれたイダアン語の記録に、ダーベル湾のイダアン族アブラハムという男性が、イスラム教を受け入れたと書かれていることによる[1]。明代の中国陶器が発掘されており、15世紀にはこの地に交易地があったと考えられる。ラハダトゥにはバジャウ族の他に、1950年代にココス諸島がオーストラリア領になったときに移住してきた住人が居る。

19世紀には、ラハダトゥのすぐ東にあるTunku村は、海賊や奴隷商人の根拠地として悪名高かった。

フィリピンスールー諸島から地理的に近いため、多数の密入国者が居るとみられる。1985年には武装勢力が銃を乱射して11人が死亡し、2000年にはラハダトゥ東部沖のシパダン島で、欧米の観光客21人が誘拐された(2000 Sipadan kidnappings)。フィリピン反政府武装勢力「アブ・サヤフ」の犯行とみられている[2]。

2013年スールー王国軍の上陸

2013年2月、ラハダトゥ地区に数百人の「スールー王国軍」を名乗るイスラム武装勢力が不法上陸した[3]。武装勢力はラハダトゥから約130 km東に離れたタンダオ村を占拠し、南に約150 kmのセンポルナにも展開した。3月12日までに双方合わせて60人以上の死者が出た[2]。

人口

人口推計は1991年調査で118,000人前後、2000年国勢調査では156,059人だった。

脚注

座標: 北緯5度1分48秒 東経118度20分24秒 / 北緯5.03000度 東経118.34000度 / 5.03000; 118.34000



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