木沢長政とは? わかりやすく解説

木沢長政

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/06 20:55 UTC 版)

木沢 長政(きざわ ながまさ)は、戦国時代武将河内山城南部の守護代。官位は従五位下左京亮。河内飯盛山城城主、大和信貴山城城主。木沢右近、木沢又八郎は一族と思われる。


注釈

  1. ^ 室町時代の公家の鷲尾隆康の日記である『二水記』の享禄3年(1530年)12月18日条に「木沢長政は畠山の被官人であったが、遊佐を生害したことにより出奔し、その後、細川高国の被官となった。今度、河内国で戦功を立てたが、また近日、細川晴元の被官となったといい、言語道断、所存のないことにより、各々これを笑う」と記されている[3]

出典

  1. ^ 『大東市史』大東市教育委員会、1973年、pp.229f頁。 
  2. ^ 馬部隆弘「畠山家 における奉書の展開と木沢家の出自[1]」『大阪大谷大学歴史文化研究』17号(大阪大谷大学、2017年)
  3. ^ a b c 山下真理子「天文期木沢長政の動向―細川京兆家・河内義就流畠山氏・大和国をめぐって―」『大正大学大学院研究論集』38号、2014年3月15日、87-109頁。 
  4. ^ 長江 1989, pp. 53–61.
  5. ^ 弓倉 2006, pp. 309–310.
  6. ^ 今谷 2007, pp. 97–100, 105–112.
  7. ^ 福島 2009, pp. 75–82.
  8. ^ 高橋遼「戦国期大和国における松永久秀の正当性―興福寺との関係を中心に―」『目白大学短期大学部研究紀要』52号、2016年2月、1-15頁。 
  9. ^ 長江 1989, pp. 62–70.
  10. ^ 今谷 2007, pp. 114–117.
  11. ^ 福島 2009, pp. 82–91.
  12. ^ 山下真理子 著「細川晴元期京兆家の領国支配と守護職」、戦国史研究会 編『戦国期政治史論集 西国編』岩田書院、2017年、198-202頁。ISBN 978-4-86602-013-6 
  13. ^ 弓倉 2006, pp. 310–320.
  14. ^ 福島 2009, pp. 91–93.
  15. ^ 馬部隆弘「木沢長政の墓と遺族の動向」『八尾市立歴史民俗資料館研究紀要』28号、2017年。 /所収:馬部隆弘『戦国期細川権力の研究』吉川弘文館、2018年、413-424頁。ISBN 978-4-642-02950-6 
  16. ^ 長江 1989, pp. 78–82.
  17. ^ 弓倉 2006, pp. 48, 274, 385.
  18. ^ 今谷 2007, pp. 121–128.
  19. ^ 福島 2009, pp. 93–94.


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