ジョン・マリン
(John Marin から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/05 08:28 UTC 版)
ジョン・マリン John Marin |
|
---|---|
![]() |
|
生誕 | 1870年12月23日 USA,Rutherford, New Jersey |
死没 | 1953年10月2日 USA,Addison, Maine |
ジョン・マリン(John Marin、1870年12月23日 - 1953年10月2日)は、20世紀前半のアメリカのモダニズムを代表する画家、版画家。
略歴
マリンは1870年、ニュージャージー州で生まれた[1]。彼の母は出産後9日で亡くなり、二人の叔母に引き取られて育てられた[2]。1899年からフィラデルフィアのペンシルベニア美術アカデミーでトマス・アンシュッツやウィリアム・メリット・チェイスに絵画を学ぶ。1905年から6年間ヨーロッパを旅し、パリからオランダ、ベルギー、イギリス、イタリアを旅した。
1909年および1910年、291ギャラリーにて個展を開催する。アルフレッド・スティーグリッツは、アメリカの前衛的な美術家の多くを紹介したが、その中でも、特にマリンを強く支持していたとも言われる。
1913年、アーモリー・ショーに出品した。ニューヨークの摩天楼やハドソン川、ブルックリン橋に強く魅せられ、これらの多くを作品の題材とした。その作品は、都会的な対象物を、半抽象的に、ダイナミックに描いたもので、動きのある画風は、未来派に通じるものも感じさせる。水彩画も得意とした。
日本での展覧会
日本においては、ジョン・マリンを正面から取り上げた展覧会は開催されていない。
日本での和書文献
日本において、ジョン・マリンを専門に取り上げた文献は存在しない。だが、以下の文献はジョン・マリンに触れている。
- アーモリー・ショウ物語(ミルトン・W. ブラウン、木村要一・翻訳、美術出版社、2006年)
作品
脚注
- ^ Johnson, Ken, “Art Review: A Restless Explorer of Early Abstraction”, The New York Times 2023年10月5日閲覧。
- ^ “Out of the Dark Room”, Time, オリジナルのApril 29, 2009時点におけるアーカイブ。
関連項目
外部リンク
- Art Cyclopedia John Marin
- John Marin on artnet
- シカゴ美術館のサイトで、マリンのポートレートが2点掲載されている1点はスティーグリッツとスタイケンの共作、1点はスティーグリッツの作品
「John Marin」の例文・使い方・用例・文例
- John AbrahamsとTina Linがアンケートデータの収集担当で、この作業は5 月5 日までに終わるでしょう。
- 今日は、皆さんをJohn Driscoll展にご案内する予定で、この展覧会は当美術館の30周年を記念して行われているものです。
- John Smith という名の英国人だ
- そんな英語を使うと Johnson が泣く
- 限定属格の例として、『John's mother(ジョンの母親)』における『John's(ジョンの)』がある
- 『John and Mary(ジョンとメアリー)』または『John walked and Mary rode(ジョンは歩き、そして、メアリーは乗り物に乗った)』における『and』、等位接続詞である;そして、『will you go or stay?(行くか、いてもらえますか?)』における『or』もそうである
- 『who visits frequently(その人はしばしば訪れる)』は、『John, who visits frequently, is ill(しばしば訪れるジョンは病気である)』の文の関係節である
- John Marinのページへのリンク