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井伊直弼

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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/31 07:40 UTC 版)

井伊 直弼(いい なおすけ)は、江戸時代後期から幕末譜代大名近江彦根藩の第16代藩主。幕末期の江戸幕府にて大老を務め、開国派として[1]日米修好通商条約に調印し、日本の開国近代化を断行した[2]。また、強権をもって国内の反対勢力を粛清したが(安政の大獄)、それらの反動を受けて暗殺された(桜田門外の変)。


注釈

  1. ^ 300俵は彦根藩では中級藩士以下の禄高のため、従来の説(吉田常吉『井伊直弼』など)では貧しく慎ましい暮らしをしていたとされていたが、近年の研究で屋敷の維持管理費、薪炭、付け人の俸禄などの費用は藩の公金から別途支出されており、経済的にはある程度の余裕があったことがわかっている[5]
  2. ^ 直亮は嘉永3年(1850年)10月1日に彦根で病死している。
  3. ^ 当時の彦根藩の財政は文政期以降の度重なる倹約令や相模湾警備の負担などにより逼迫していたことや、町方・郷方へ下賜された金額が3,000両であることから、実際に下賜された総額については疑問も呈されている[10]
  4. ^ (彦根)井伊直弼、(会津)松平容保、(高松)松平頼胤、(姫路)酒井忠顕、(伊予松山)松平勝成、(忍)松平忠国、(桑名)松平定猷、(佐倉)堀田正睦、(小浜)酒井忠義
  5. ^ 薬師寺は紀州藩附家老・水野忠央の姻戚であり、この後に異例の出世を遂げていることから、この情報は南紀派の工作の一環との説がある[22]
  6. ^ この時、井伊家の先例に倣って就任を形式的に2度辞退している[23]
  7. ^ 実際には、英仏両国艦の清国出発は1ヶ月以上後を予定しており、再度朝意を伺うのに十分な期間があったことになる。事実、ハリスは未だ在香港中の英仏両国国使に手紙を出して、両国使の訪日に先立って米国が日本との条約に漕ぎつけたことを自慢している。[27]
  8. ^ 斉昭らと同日に登城しているが、こちらは規則に則った例日登城である[33]
  9. ^ (高松)松平頼胤、(守山)松平頼誠、(常陸府中)松平頼縄
  10. ^ 徳川斉昭の九男。
  11. ^ 直弼は「人は各々天命があり、刺客が果して余を斃そうとすれば、たとえいかほど戒心しても乗ずべき隙があり、そもそも従士の数は幕府の定めるところで大老がこれを破れば他の諸侯に示しがつかない」と述べた[49]
  12. ^ 井伊家の従士・萩原吉次郎の証言によると、井伊家では安政6年(1859年)までは主君の身を守るために警護を密かに増やしていたが、直弼がこれを知って安政7年(1860年)に廃したという[49]
  13. ^ 狙撃者については、関鉄之介、森五六郎、黒沢忠三郎の諸説がある[50]
  14. ^ 直弼の遺骸を検死した彦根藩医・岡島玄達が太股から腰に貫ける貫通銃創を報告している[51]
  15. ^ 文政12年(1828年)まで、直弼の叔父・乗徳扁勝(井伊直在)が6世住職を務めていた[61]
  16. ^ この言葉につながる意味内容は利休七哲山上宗二が著した『山上宗二記』にある。四字熟語「一期一会」を直弼以前に使ったことは確認できない。

出典

  1. ^ “19世紀後半、黒船、地震、台風、疫病などの災禍をくぐり抜け、明治維新に向かう(福和伸夫)”. Yahoo!ニュース. (2020年8月24日). https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/4d57ba83d5e41aac42e5017f84dc3147e53dc0ff 2020年12月2日閲覧。 
  2. ^ 『江戸時代人物控1000』山本博文監修、小学館、2007年、22-23頁。ISBN 978-4-09-626607-6 
  3. ^ 吉田 1984, p. 27.
  4. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 77頁。
  5. ^ 母利 2006, pp. 15–17.
  6. ^ 吉田 1984, p. 97-101.
  7. ^ 母利 2006, p. 118.
  8. ^ 母利 2006, p. 125-126.
  9. ^ 母利 2006, p. 126-127.
  10. ^ a b 母利 2006, pp. 127–128.
  11. ^ 母利 2006, p. 128.
  12. ^ 母利 2006, p. 129.
  13. ^ 母利 2006, p. 133.
  14. ^ 母利 2006, p. 135.
  15. ^ 母利 2006, p. 146-147.
  16. ^ 母利 2006, p. 149.
  17. ^ 吉田 1984, p. 202.
  18. ^ 吉田 1984, p. 208.
  19. ^ 吉田 1984, p. 211.
  20. ^ 母利 2006, p. 180-182.
  21. ^ a b 『公用方秘録』
  22. ^ 母利 2006, p. 186.
  23. ^ 母利 2006, p. 189.
  24. ^ 母利 2006, p. 190.
  25. ^ a b 吉田 1984, p. 268.
  26. ^ 吉田 1984, p. 265-266.
  27. ^ 徳富蘇峰『近世日本国民史 井伊直弼』p.252-253
  28. ^ 徳富蘇峰『近世日本国民史 井伊直弼』p.253
  29. ^ 吉田 1984, p. 268-269.
  30. ^ 『公用方秘録』
  31. ^ 母利 2006, p. 198-200.
  32. ^ 母利 2006, p. 201-202.
  33. ^ 吉田 1984, p. 275.
  34. ^ 吉田 1984, p. 283-284.
  35. ^ 吉田 1984, p. 298-303.
  36. ^ 吉田 1984, p. 317-318.
  37. ^ 吉田 1984, p. 316-324.
  38. ^ 吉田 1984, p. 333.
  39. ^ 吉田 1984, p. 343-344.
  40. ^ 吉田 1984, p. 342-343.
  41. ^ 吉田 1984, p. 354-355.
  42. ^ 吉田 1984, p. 370.
  43. ^ 吉田 1984, p. 355-357.
  44. ^ 吉田 1984, p. 357-359.
  45. ^ 吉田 1984, p. 360.
  46. ^ 吉田 1984, p. 366-369.
  47. ^ 吉田 1984, p. 380.
  48. ^ 吉田 1984, p. 381.
  49. ^ a b 吉田 1984, p. 385.
  50. ^ 吉田 1984, pp. 393–394.
  51. ^ 吉田 1984, p. 394.
  52. ^ 吉田 1984, p. 386.
  53. ^ 吉田 1984, p. 387.
  54. ^ a b 吉田 1984, p. 392.
  55. ^ a b 吉田 1984, p. 398.
  56. ^ a b 吉田 1984, p. 399.
  57. ^ 吉田 1984, p. 398-399.
  58. ^ 吉田 1984, p. 400.
  59. ^ 佐野市仏教会 天應寺”. 佐野市仏教会. 2019年12月27日閲覧。
  60. ^ 母利 2006, p. 20.
  61. ^ 母利 2006, p. 37.
  62. ^ 母利 2006, p. 39.
  63. ^ a b 母利 2006, p. 40.
  64. ^ 母利 2006, p. 22-23.
  65. ^ 母利 2006, p. 58-61.
  66. ^ 国宝・彦根城築城140年祭記念狂言”. 国宝・彦根城築城410年祭推進委員会事務局 (2017年). 2017年10月2日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年12月28日閲覧。
  67. ^ 和歌で知る井伊直弼 滋賀のグループが解読”. 東京新聞 (2019年2月22日). 2019年11月12日時点のオリジナルよりアーカイブ。2019年2月22日閲覧。
  68. ^ 母利 2006, p. 73, 83.
  69. ^ 母利 2006, p. 73-74.
  70. ^ 母利 2006, p. 83.
  71. ^ 母利 2006, p. 84.
  72. ^ a b 吉田 1984, p. 104.
  73. ^ a b 吉田 1984, p. 102.
  74. ^ 井伊直弼関係史料”. iimuseum (2020年6月13日). 2023年12月17日閲覧。
  75. ^ 吉田 1984, p. 244.
  76. ^ 井伊直弼と開国150年祭『直弼二十二景~井伊直弼にまつわる22の風景~ 第二十二景 彦根城天主』(2010年4月6日アーカイブ) - 国立国会図書館Web Archiving Project
  77. ^ 『昔夢会筆記』p.5
  78. ^ a b 石井 1988, p. 343.
  79. ^ 石井 1988, pp. 345–346.
  80. ^ 石井 1988, p. 347.
  81. ^ 都市交流”. 水戸市 (2019年8月19日). 2021年11月4日閲覧。
  82. ^ せたがやの文化財 井伊直弼画像
  83. ^ 井伊直弼銅像”. 世田谷区ホームページ. 2019年11月12日閲覧。


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