フレグとは? わかりやすく解説

フレグ

(Hulagu Khan から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/04 14:10 UTC 版)

フレグHülegü, Hülägü、1218年 - 1265年)、あるいはフラグ、またはフラクは、イルハン朝(フレグ・ウルス)の創始者(在位:1260年 - 1265年)。アバカテグデル・アフマドの父。『世界征服者史』『集史』等のペルシア語、アラビア語文献では ペルシア語: هولاكو خان‎ 転写: Hūlākū Khān、『元史』等の漢語文献では旭烈兀 大王、『五族譜(Shu'`ab-i Panjgāna)』のウイグル文字モンゴル語表記では ᠤᠯᠡᠺᠤ 'wl'kw(ulaku < 'ülegü < Hülegü) と表される。


  1. ^ 集史』トルイ・ハン紀ではトルイの(異母兄弟を含めた)五男(Rashīd al-Dīn Faḍl Allāh Hamadanī, Jāmi'al-Tawārīkh, (ed.)Muḥammad Rawshan & Muṣṭafá Mūsawī, vol.2, Tehran,1373/1994, p.781)、『元史』宗室世系表ではトルイ(睿宗皇帝)の六男としている(『元史』巻107/表2 宗室世系表「睿宗皇帝、十一子:長憲宗皇帝、(中略)次六旭烈兀大王」)。
  2. ^ 『集史』でのアラビア文字による人名表記は、Rawshan校訂本に依りつつ適宜修正した。
  3. ^ دوكوز خاتون Dūkūz Khātūn/ توكوز خاتون Tūkūz Khātūn:ケレイト部族オン・ハンの息子イク ايقو Īqū の娘。彼女はキリスト教徒で、彼女のオルドの傍らにはキリスト教会が営まれ、定時には鐘が鳴らされていたという。最初はトルイのハトゥン(妃)であったが、後にフレグに与えられたという。『集史』や『五族譜』では、彼女は「フレグ・ハンの最上位のハトゥン(Buzurgtarīn KhKhātūn-i Hūlākū Khān)」と呼ばれている。
  4. ^ كويك خاتون Kūyuk Khātūn:オイラト部族首長家のトレルチ・キュレゲンとチンギス・ハンの第二皇女チチェゲンとの娘。
  5. ^ قوتوى خاتون Qūtūy Khātūn:コンギラト部族首長家の子女。チンギス・ハンの娘の息子ムーサー・キュレゲン موسى كوركان 、アバカ妃ミリタイ・ハトゥンの同母姉妹。チンギス・ハンの皇后ボルテの父デイ・セチェンの兄弟ダリタイの系統で、これら3人はダリタイの息子ブユル、テクデル、ジョムクルのうちいずれかの人物の子女たちであったと見られている。
  6. ^ اولجاى خاتون Ūljāy Khātūn:アバカ時代の大ハトゥン
  7. ^ ييسونجين خاتون Yīīsūnjīn Khātūn:スルドス部族出身。クトイ・ハトゥンとともにモンゴル本国からイランに移住したという。
  8. ^ نوقاچين ايكاچی Nūqāchīn Īkāchī:ヒタイ出身。クトイ・ハトゥンのオルドに属す。
  9. ^ بورقچين Būraqchīn:クトイ・ハトゥンのオルドに属す。
  10. ^ اريقان ايكاچی Arīqān Īkāchī:オイラト部族出身のテンギズ・キュレゲン تينككيز كوركان Tīnkkīz Kūrkān の娘。クトイ・ハトゥンのオルドに属す。
  11. ^ اجوجه ايكاچی Ajūja Īkāchī:ドクズ・ハトゥンのオルドに属す。
  12. ^ ييشيجين Yīshījīn:コルラス部族のカラヤンギ قراينكى Qarāyankī の姉妹。クトイ・ハトゥンのオルドに属す。)
  13. ^ ايل ايكاچی Īl Īkāchī:コンギラト部族出身。ドクズ・ハトゥンのオルドに属す。)
  14. ^ منكلى كاچ ايكاچی Manklī Kāch Īkāchī
  15. ^ جومقور Jūmqūr / جومقار Jūmqār(『五族譜』):息子にジュシケブ جوشكاب Jūshkāb とキンシュウ كينكشو Kīnkshū の兄弟がいる。
  16. ^ يوشموت Yūshmūt / يوشوموت Yūshūmūt(『五族譜』)
  17. ^ تكشين Takshīn:『集史』フレグ・ハン紀によると、長い闘病の末に没したという。同母兄のジョムクルの死後、その妃であったノルン・ハトゥン Nūlūn Khātūn を引き継いだ。テクシンには توبون Tūbūn ないし توبوت Tūbūt (『五族譜』。ウイグル文字表記でも twbwd )という息子がひとりおり、ノルン・ハトゥンとの間にエセン ايسن Īsan という娘がいたという。
  18. ^ طرقاى Ṭaraqāy:『集史』フレグ・ハン紀、アバカ・ハン紀によると、イラン地方へ移住の途中、落雷を受けて死亡したという。カラクチン قراقچين Qarāqchīn という名前の妃からバイドゥを儲けた。バイドゥの他にイシル اشيل Ishīl という名の娘がいた。
  19. ^ توبسين Tūbsīn
  20. ^ اجاى Ajāy
  21. ^ قونقورتاى Qūnqūrtāy:『五族譜』では قونكيردای Qūnkīrdāy。異母兄テグデル・アフマドの即位の貢献したが、即位後にテグデルと不和となり処刑された。テグデルがアルグンとの抗争で没落した時、テグデルが殺されることとなった原因は、『集史』テグデル・アフマド紀によると、コンクルタイの死に対するコンクルタイ家の人々による報復であったという。
  22. ^ ييسودار Yīsūdār
  23. ^ منككه تيمور Mankka Tīmūr/مونكا تمور Mūnkā Timūr(『五族譜』):玄孫にイルハン朝最末期の君主ムハンマド(在位1336-1337年)がいる。
  24. ^ هولاچو Hūlāchū
  25. ^ شيباوچی Shībāwuchī
  26. ^ طغای تيمور Ṭaghāy Tīmūr:母の名前は『集史』フレグ・ハン紀では氏族名部分が空欄になっているため不詳だが、クトイ・ハトゥンのオルドに属す側室であったという。
  27. ^ بولوغان آغا Būlūghān Āghā
  28. ^ タタル部族のジョチの息子。ゲイハトゥの生母でアバカの大ハトゥンであったノクダン・ハトゥンの兄弟。
  29. ^ جمی Jamay
  30. ^ منكلوكان Munkūlūkān
  31. ^ تودوكاچ Tūdūkāch
  32. ^ ティンギズの死後はその息子スラミシュ、テンギズの孫チチェグ・キュレゲンが降嫁を欲した。
  33. ^ طرقاى Ṭaraqāy
  34. ^ قوتلوقان Qūtulūqān
  35. ^ بابا Bābā


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