Ezuriko Kofun Clusterとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > Ezuriko Kofun Clusterの意味・解説 

江釣子古墳群

(Ezuriko Kofun Cluster から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/19 00:24 UTC 版)

江釣子古墳群
所在地 岩手県北上市上江釣子・北鬼柳・和賀町長沼に所在
位置 北緯39度17分29.1秒 東経141度04分56.5秒 / 北緯39.291417度 東経141.082361度 / 39.291417; 141.082361座標: 北緯39度17分29.1秒 東経141度04分56.5秒 / 北緯39.291417度 東経141.082361度 / 39.291417; 141.082361
規模 末期古墳約120基
出土品 蕨手刀直刀刀子鉄鏃勾玉管玉、切子玉、ガラス玉
築造時期 7世紀後半から8世紀前半
史跡 1979年昭和54年)9月10日国指定
地図
江釣子
古墳群
岩手県内の位置
テンプレートを表示

江釣子古墳群(えづりここふんぐん)は、岩手県北上市上江釣子・北鬼柳・和賀町長沼に所在する古墳時代後期後半(7世紀後半から8世紀前半)の古墳群である[1]蝦夷塚とも呼ばれる。1979年昭和54年)9月10日、国の史跡に指定され、1980年(昭和55年)3月24日、追加指定される[2]

概要

本古墳群は、北上川に注ぐ和賀川の形成した標高70 - 90メートルの低位段丘の縁辺および自然堤防上に立地する。古くから蝦夷塚として知られていた。

規模・形状

本古墳群は、4支群(猫谷地古墳群、五条丸古墳群、八幡古墳群、長沼古墳群)から構成されている。本古墳群では、直径10メートル前後、高さ1メートルほどの円墳が約120基ほど確認されている。古墳の周囲には、南側で切れる幅約1メートルほどの周濠が巡っている。

副葬品・埋葬施設

主体部の大半は、川原石を小口積みにした横穴式石室を真似た竪穴式石室である。石室の平面形は長方形であり、長軸が2~4メートルに対し、幅は0.4~0.7メートルと狭い。北壁に奥石を持ち、南側に形式的な羨門部を造るものもある。床にはが敷かれ、仕切り石とその両壁に立石している

出土遺物には、蕨手刀(わらびてとう)、直刀刀子(とうす)、鉄鏃勾玉(まがたま)、管玉(くだたま)、切子玉、ガラス玉[3]金環、錫釧(すずくしろ)、轡(くつわ)、鉄斧、鎌、鍬先、土師器などがある。

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ 北上市文化財課文化財係. “江釣子古墳群”. 岩手県北上市教育委員会. 2022年5月1日閲覧。
  2. ^ 江釣子古墳群 - 国指定文化財等データベース(文化庁
  3. ^ 中には金箔入りの特殊なものもある(高橋(1991年) 28ページ)。

参考文献

  • 高橋信雄 著「江釣子古墳群」、文化庁文化財保護部史跡研究会監修 編 『図説 日本の史跡 第2巻 原始2』同朋舎出版、1991年。ISBN 978-4-8104-0925-3 

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

Ezuriko Kofun Clusterのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



Ezuriko Kofun Clusterのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの江釣子古墳群 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS