コパスカー・FD01
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出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/14 00:59 UTC 版)
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![]() ウィルソン・フィッティパルディがドライブするFD01、2007年 | |||||||||
カテゴリー | F1 | ||||||||
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コンストラクター |
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デザイナー |
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後継 | コパスカー・FD02 | ||||||||
主要諸元 | |||||||||
エンジン | フォード-コスワース DFV 3.0 リッター V8 (90°), NA ミッドエンジン, 縦置き | ||||||||
トランスミッション | ヒューランド FG400 5速 MT | ||||||||
重量 | 602 kg (1,327 lb) | ||||||||
燃料 | ルーカス | ||||||||
タイヤ | グッドイヤー | ||||||||
主要成績 | |||||||||
チーム | コパスカー-フィッティパルディ | ||||||||
ドライバー |
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初戦 |
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コパスカー・FD01 (Copersucar FD01) は、フィッティパルディ・オートモーティヴが開発したフォーミュラ1カー。デザイナーはリチャード・ディヴィラ。
開発の歴史
コパスカー・FD01は、フィッティパルディ・オートモーティヴが開発した「ブラジル初のF1カー」であった。初公開は1974年10月16日、当時大統領のエルネスト・ガイゼル臨席の下、ブラジリアのブラジル上院議場で行われた。
車名はチームのメインスポンサーであったコパスカーから、「コパスカー・FD01」とされたが、資料によっては「フィッティパルディ・FD01」「コパスカー・フィッティパルディ・FD01」とも呼ばれる。車体はアルミニウム製モノコックで構成され、コスワースDFVエンジンを搭載、タイヤはグッドイヤー製であった。ラジエターはトランスミッション後方に位置したが、空力を考えそれを覆う後部カウルを装着した。
1975年シーズン開幕戦であるアルゼンチングランプリの予選でウィルソン・フィッティパルディは2分0秒22で23位と最下位であった。22番手のBRMのマイク・ワイルズから11秒離れていた。ポールポジションを獲得したシャドウのジャン=ピエール・ジャリエはフィッティパルディよりも平均で18km/h速く走っていた。
決勝では1周目で18位まで浮上したが、12周目にクラッシュし炎上、リタイアとなった[1][2][3]。第2戦のブラジルグランプリにはFD02が投入された。
F1における全成績
年 | エンジン | タイヤ | ドライバー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 13 | 14 | ポイント | 順位 |
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1975年 | フォード-コスワース DFV 3.0 V8 |
G | ARG![]() |
BRA![]() |
RSA![]() |
ESP![]() |
MON![]() |
BEL![]() |
SWE![]() |
NED![]() |
FRA![]() |
GBR![]() |
GER![]() |
AUT![]() |
ITA![]() |
USA![]() |
- | 0 | |
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Ret |
参照
- ^ “Qualifying for the 1975 Argentinian Grand Prix”. statsf1.com. 2013年11月17日閲覧。
- ^ “1975 Argentine Grand Prix: Lap by lap”. statsf1.com. 2013年11月17日閲覧。
- ^ “Ranking of the 1975 Argentinian Grand Prix”. statsf1.com. 2013年11月17日閲覧。
外部リンク
- コパスカー・FD01のページへのリンク