ASA設立と海外からの注目
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「新国誠一」の記事における「ASA設立と海外からの注目」の解説
1964年に、鍵谷幸信宅で行われていたカミングズ研究会に参加、そこで藤富保男と出会う。同年6月4日、新国は藤富とコンクリート・ポエトリーの研究、実験を目的としたグループ「芸術研究協会」(Association of Study of Arts、ASA)を設立。同グループは機関紙「ASA」で国内外のコンクリート・ポエトリーを紹介するほか、アロルド・デ・カンポス(en)の詩篇などを翻訳して刊行した。また藤富は、ブラジルのコンクリート・ポエトリー運動「ノイガンドレス」(es)に参加していた詩人、ルイス・カルロス・ヴィニョーレスを新国と引き合わせた。新国はヴィニョーレスに、フランスの詩人ピエール・ガルニエ(fr)を紹介され、のちに『0音』をガルニエに送った。 1966年、ピエール・ガルニエとの合作である『日仏詩集』をフランスで刊行。また1969年には、ドイツのノルトライン=ヴェストファーレン州立美術館(en)で開催された「ドイツ・ヴィジュアル・ポエジイ展」に作品を招待出品。それにとどまらず海外からの出品依頼が増え、新国も次第に海外に目を向けるようになった。1974年には、ロンドンのホワイトチャペル・アートギャラリーで個展を開催した。
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