6代(玉錦)時代
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「二所ノ関部屋 (1909-2013)」の記事における「6代(玉錦)時代」の解説
1935年(昭和10年)1月に第32代横綱・玉錦は二枚鑑札で6代二所ノ関を襲名して部屋を再興した。当時の二所ノ関部屋は稽古場さえ持たないほどの弱小な部屋だったが、玉錦は猛稽古により一代で部屋を大きくし、継承から5、6年程度で先代弟子だった玉ノ海を三役にあげ、直弟子の佐賀ノ花を関取に育て上げた。しかし、勧進元も務めてこれからという1938年(昭和13年)12月に虫垂炎を悪化させ、腹膜炎を併発して34歳の若さで死去した。
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