3幕版『エイシスとガラテア』
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1718年版の『エイシスとガラテア』は私的に上演されただけであったが、ずっと後の1731年にジョン・リッチによって公開初演された。 翌1732年5月にはトマス・アーンらのイギリス・オペラによって、ヘンデルに無断で再演された。 この動きに対し、ヘンデルは大急ぎで3幕ものの新しい『エイシスとガラテア』HWV 49bを作成して対抗した。この作品はイタリア時代の『アチとガラテアとポリフェーモ』に仮面劇の『エイシスとガラテア』の曲を加え、いくつかのアリアを追加したもので、イタリア語と英語を混在させた作品であった。新しい『エイシスとガラテア』は1732年6月10日にヘイマーケット国王劇場で初演された。 『エイシスとガラテア』はその後もしばしば異なる編曲で上演された。1733年にオックスフォードで上演したときには、主要なイタリア人歌手をライバルの貴族オペラに引きぬかれていたため、カストラートに割りあてられていたエイシスとデイモンのうち、前者はカウンターテノールに変えられ、後者は除かれた。1739年には完全に英語の作品になった。 現在一般的に上演されるのは1739年版であり、1718年版をもとにして2幕ものに直している。 ヘンデルの生前、『エイシスとガラテア』は常に人気のある作品だった。没後も忘れられることはなく、1788年にはヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトがヴァン・スヴィーテン男爵のコンサートのために編曲を行っている。
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